「もし生きていれば成人式だった」 名古屋市いじめ自殺訴訟、遺族側は上告へ…努力家だった亡き娘への思い
●「娘は努力家で芯の強い子でした」
信太郎さんは華子さんが亡くなってすぐに学校側と話し合い、市教委の調査委員会が設置された。しかし、いじめがあったことは認められなかった。その後も市教委と話し合い、市長部局の再調査委が設置された。その再調査報告書では「いじめがあり、自殺の一因になった」と判断された。 再調査報告書を受けて、名古屋市では「学校でのいじめによる自死防止対策検討プロジェクトチーム」が2021年10月、当時の河村市長の肝いりで立ち上がった。座長は広沢一郎副市長(当時/現在の名古屋市長)。遺族は、Zoomを通じて意見を表明したことがあるが、会議は3回で終了した。 2022年6月には検証委員会が設置された。遺族は名古屋市に要望書を出していたが、期待する検証委員会ではなかった。国会でも取り上げられて、参議院決算委員会で岸田文雄総理(当時)が「ご遺族の事実関係を明らかにしたい、何があったのかを知りたい、こうした切実な思い、これを理解し、ご遺族に寄り添い対応に当たることはきわめて重要な姿勢であると認識しています」と答弁した。 その後、裁判外紛争解決手続き(ADR)も実現せず、市を相手に裁判を起こすなど、信太郎さんは仕事しながら、闘い続けた。 「娘は努力家で、できないことがあると、できるまでやり続ける芯の強い子でした。趣味は読書で、時間があればいつも本を読んでいました。また、習字で『継続は力なり』と書き残しています。今、私がこの場にいることも、この書の言葉通り諦めず、闘い続けてきたからです。書は日に日に色褪せてきますが、この言葉を忘れたことはありません」
●「娘の未来が楽しみで仕方がありませんでした」
華子さんの身に何があったのか。2017年9月の転校後、華子さんはソフトテニス部に入った。その際にはルーズリーフで手書きの詳細なルールを渡されていた。その中には、病気やケガで休んだとしても、1日あたりグランド3周を走る「罰則」が記されていた。 そのため、休みにくい雰囲気があり、退部した生徒もいる。さらに、あいさつが他の部活よりも厳しく、後輩は先輩が気づくまでにあいさつしなければならないなど、「ブラック規則」も書かれていた。 11月後半に入って、華子さんが部員に練習相手を頼んだが、無視された。この部員以外も華子さんの練習を手伝わなかった。 「強豪校とは聞いていましたが、やりすぎなのではと思いました。華子に聞いたことがあります。『いつ休むの? しんどかったら休んでいいんだよ』と。すると、華子は『大丈夫。それに休んだらグラウンドを3周走らないといけないから嫌なんだ』と言っていました。このときに無理にでも、やめさせておけばよかったかもしれません」 亡くなる前日、華子さんは届いたばかりのユニフォームにゼッケンをつけていた。 「新垣結衣さん主演の『逃げ恥』の再放送を見ながら踊ったり、おせち料理を堪能したり、お餅を焼いて食べたり、いつものお正月、普段のお正月でした。スケッチブックのデザインを作る冬休みの宿題もありました。一緒に作った親子で最後のものです。楽しい時間でした。 テレビのニュースでは、成人式のことが流れており、成人式の着物の色や柄の話をしていました。私は成人式を迎えた娘を想像して、どんな大人になっていくのか、華子の未来が楽しみで仕方がありませんでした」