メジャー断念で…国内移籍を選んだFA戦士5人
MLBでは、大谷翔平のFA去就に大きな注目が集まっている。NPBからも毎シーズンのように海を渡っており、今オフも山本由伸、今永昇太らが新たなメジャーリーガーとなりそうだ。一方で、FA権を行使してメジャー挑戦を目指したが、断念した選手もいる。ここでは、最終的に国内球団への移籍を決断した選手を紹介したい。 【写真】球界に衝撃…まさかの退団を経験した選手5人
小林宏之
・投打:右投右打 ・身長/体重:185cm/85kg ・生年月日:1978年6月4日 ・経歴:春日部共栄高 ・ドラフト:1996年ドラフト4位 2010年オフに海外FA権を行使した小林宏之。複数のメジャー球団が調査に乗り出していると報じられたが、獲得オファーはなく阪神タイガースに移籍した。 1996年ドラフト4位で千葉ロッテマリーンズに入団。2003年に初の2桁10勝を挙げると、2005年から3年連続で2桁勝利をマーク。特に2007年は13勝3敗、防御率2.69と優秀な数字を記録した。 その後2年間は不調に苦しんだが、2010年からクローザーへ転向。57試合に登板し、3勝3敗29セーブ、防御率2.21の好成績を残した。 同年オフにはメジャー移籍を目指してFA宣言したが、獲得球団は現れず。ロッテは宣言残留を認めていなかったため、阪神へ移籍する運びとなった。 移籍初年度は42試合登板、1勝5敗21ホールド、防御率3.00とまずまずの数字を記録。しかし、翌2012年は一軍登板なしに終わり、わずか2年で戦力外通告を受けた。 その後は独立リーグや埼玉西武ライオンズなどでプレーを続けた。
稲葉篤紀
・投打:左投左打 ・身長/体重:185cm/94kg ・生年月日:1972年8月3日 ・経歴:中京高 - 法政大 ・ドラフト:1994年ドラフト3位 北海道日本ハムファイターズにとって初めてのFA獲得選手となった稲葉篤紀。FA宣言当初はメジャー移籍を目指していたが、結果的に国内移籍となった。 法政大から1994年ドラフト3位でヤクルトスワローズに入団。プロ2年目に外野のレギュラーを奪取すると、2001年には打率.311、25本塁打、90打点の好成績で初のベストナインを獲得した。 翌年以降はやや成績を落とすも、2004年は打率.265、18本塁打と復調。同年オフにメジャー移籍を目指し、海外FA権を行使した。 しかし、メジャー球団からオファーはなく、獲得に乗り出していた日本ハムへ移籍した。 移籍2年目の2006年には自己最多の26本塁打を放ち、ベストナインとゴールデングラブ賞のW受賞。翌2007年には打率.334、176安打、17本塁打、87打点の好成績を残し、首位打者と最多安打の打撃2冠に輝いた。 その後も主力選手として長らく活躍し、2013年はコーチも兼任。選手専任に戻った2014年限りで、惜しまれつつも現役を引退した。