引退直前・レスラー齋藤彰俊が語る“虎ハンター”小林邦明「 レスラーはナメられたらおしまいと教わった」
なぜ? プロレスリング・ノアで再デビュー
「(獣神サンダー・)ライガーさんにも心配されましたよ。“お前がハングリー精神を取り戻すのは別にいい。でも、家族はどうするんだ?”って。あと新日本からも“そんなにハングリーに過ごしたいんだったら、給料を抑えておきます。そのぶんは自分で納得できるタイミングで渡しますから”って提示されましたね。でも、それだと本当の意味でストイックになれないですからね。気持ちはありがたいですけどってことで、お断りしました」 飲食店オーナーとしての再出発を決めた齋藤は、自身のバーをオープンさせる。国道沿いで近くに駅もなかったため、不動産業者からは「ここでは繁盛しませんよ」と止められたが、そのことが逆に齋藤の闘志に火をつける。とことん自分を追い詰めないと気が済まない性分なのだ。 「最初は昼にハワイの粉コーヒーを淹れて、ランチもやってたんですけどね。夜のほうはサッパリでした。当然、それだけでは生活できないので、昼のランチはやめて、朝から夕方まで産業廃棄物関係の仕事をやって……。産廃の仕事は服装自由だったので、たまにプロレスTシャツとか着ることもあったんです。すると“なんだ、お前。プロレスファンなのかよ”とか笑われるものだから、“いつか見てろよ”と思っていました。“ここから絶対這い上がってやるからよ”って」 結論からいうと、プロレスの世界から足を洗った2年後の2000年に齋藤はプロレスリング・ノアでレスラー復帰している。団体が違うとはいえ、周囲の説得を押し切るように啖呵を切って辞めた以上、おめおめと戻るのは気まずかったはずだ。 「なぜ戻ることにしたかというと、絶対繁盛しないという立地でバーの経営が安定するようになったからです。宣伝は一切しなかったから最初は苦戦しましたが、口コミベースで徐々に常連さんがつくようになったんですね。お酒は800種類くらい用意していましたし、いろいろこだわりはあったから、そういうところが評価されたのかもしれません。自分がレスラーだったということはまったく知られていませんでしたね。とにかくハングリー精神を取り戻せた今なら、胸を張って戻れるかなと考えたんです」 プロレスリング・ノアで再デビューを果たすことになった齋藤は、ベルト戦線に絡むなどレスラーとして本格的に全盛期を迎える。しかし、“悲劇”は突然にやってきた。自死も真剣に考えたという苦悩と、闘い続けることを誓った覚悟。そして今回、引退を決意した経緯については記事後編でたっぷり語っている──。(文中敬称略) 【後編】齋藤彰俊がリングを去る決意と三沢光晴からの手紙「死んでお詫びをするしかないと考えていた」は下の関連記事からご覧ください。
小野田 衛