「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」…硫黄島に初上陸して目撃した「首なし兵士」の衝撃
なぜ日本兵1万人が消えたままなのか、硫黄島で何が起きていたのか。 民間人の上陸が原則禁止された硫黄島に4度上陸し、日米の機密文書も徹底調査したノンフィクション『硫黄島上陸 友軍ハ地下ニ在リ』が13刷ベストセラーとなっている。 【写真】日本兵1万人が行方不明、「硫黄島の驚きの光景…」 ふだん本を読まない人にも届き、「イッキ読みした」「熱意に胸打たれた」「泣いた」という読者の声も多く寄せられている。
「首なし兵士」の衝撃
遺骨収集作業は上陸翌日に始まった。 壕の入り口付近で見つかったその兵士の遺骨は、頭だけが粉々だった。 「頭がそっくりない遺体が多い島なんだよ」 約10年前から毎年、遺骨収集に参加している神奈川県のベテラン団員の水野勇さん(74=年齢はいずれも当時=)がそうこぼした。一部の骨片には鉄が付いていた。近くでは手榴弾の破片も見つかった。 ここは硫黄島の北端。「矢弾尽キ果テ散ルゾ悲シキ」との訣別電報などで知られる硫黄島守備隊の最高指揮官栗林忠道中将がいた司令部壕から400メートル北東側だ。1932年ロサンゼルス五輪馬術金メダリストで戦車部隊を率いたバロン西(西竹一男爵)が消息を絶ったと伝えられる地からも近い。 「首なし兵士」は追い詰められて、手榴弾を頭に当てて爆発させ、自決したのだろうか。 先の大戦では大勢の日本兵が自決によって絶命した。背景として知られているのは、1941年に東条英機陸相が説いた軍人の心得「戦陣訓」がある。その一節である「生きて虜囚の辱を受けず」を多くの兵士は忠実に守り、捕虜になることを拒み、自決を選んだ。 きっとこの兵士もその一人だと僕は考えた。だから、その時点の僕は、頭がない遺体が多い理由を探ろうとはしなかった。 この壕の入り口は高さ約10メートルの崖の最下部に掘られていた。地下に向かうのではなく、洞窟のように横方向に掘られていた。全長14メートル。壕の天井の高さは4メートルほどだった。不必要に感じるほど高い。手で掘った跡があるのは壁面だけだ。そのことを考えると、もともと4メートルの高さがある天然の洞窟を利用してつくられた壕だと思い至った。 入り口付近の岸壁は被弾した穴だらけだった。 壕の入り口から海を見渡すと、硫黄列島の一つである「北硫黄島」が見えた。地図によると、約80キロ離れているとのことだが、肉眼で見ると格段に近く感じる。硫黄島は、弾も水も食糧もない地獄の戦場だった。ここからイカダで脱出を試みる兵士が相次いだ、との生還者の証言を思い出した。これだけ隣の島が近くにあると感じられると、脱出の試みも無理はないと思った。ちなみに、北硫黄島への脱出が成功したという記録は、日本軍側にも米軍側にもない。