今こそ知りたい!! 耐久レースを席巻したホンダの無敵艦隊「RCB1000」の使命とは?
「RCB1000」は、1976年にヨーロッパ耐久レースに出場すると連戦連勝し、ボルドール24時間レースでも優勝します。深夜を通して行なわれたライバル勢との息詰まるハイペースな戦いは、まさに耐久レースの真骨頂でした。ゴール時に14万人の観客からホンダコールが湧き上がったと言います。 さらにその年のシリーズタイトルも獲得し、完璧な形で目標を達成します。「RCB1000」の活躍は遠く離れた日本にも耐久レースの存在と楽しさを伝えてくれました。 1978年7月には鈴鹿8時間耐久レースが初開催となります。この年は耐久レース選手権のタイトル争いに影響しない形での開催でしたが、地元では“打倒RCB”に燃える多くのチームが参戦します。 日本初上陸となったレースの結果は、日本屈指のコンストラクターであるヨシムラが優勝し、上位を占めたのはホンダ車以外で「RCB1000」は惨敗。このドラマは今でも鈴鹿8耐の伝説として語り継がれています。 「RCB1000」が3年間で残した戦績は26戦24勝(負けた2戦は鈴鹿を含むノンタイトル戦)です。実際には薄氷を踏むようなギリギリでの勝利もありながら、ヨーロッパ耐久レース選手権では3年間無敗のチャンピオンマシンでした。 その後、目標達成を果たしたHERTは解散し、1979年には前年から開発を進めていた新世代CBである「CB750F/CB900F」のエンジンをもとに作られた耐久レーサー「RS1000」へとバトンタッチします。 そして1979年の鈴鹿8耐では「RS1000」のワンツーフィニッシュで圧勝。さらに上位を独占しのはこの「RS1000」のエンジンを使用したマシンで、見事にリベンジを果たしました。
ヨーロッパ耐久レースは1980年に世界選手権へと昇格し、市販車をベースにした耐久レースは各メーカーが凌ぎを削る場となります。一方、メーカー系以外のエントラントの多くを支えたのが、ホンダが提供した「RS1000」のエンジンキットパーツでした。 ドラマチックなレース展開もあり、鈴鹿8耐はたくさんのバイクファンを集める大人気イベントとなりました。2024年も多くのチームがホンダ「CBR1000RR-R」で参戦し、「RCB1000」の時代と変わらない、熱い戦いを見せてくれるのではないでしょうか。 ■ホンダ「RCB1000」(1976年型)主要諸元 エンジン種類:空冷4ストローク並列4気筒DOHC4バルブ 総排気量:997.48cc 車両重量:190kg(乾燥) フレーム形式:ダブルクレードル 【取材協力】 ホンダコレクションホール(栃木県/モビリティリゾートもてぎ内) ※2023年12月以前に撮影
柴田直行