コラム『カルチャーショック1 ブラジルに半世紀』俺がブラジル定住を決めた理由(1) 広橋勝造
俺は氷が溶け、水だけのウイスキーを飲みながら、楽しそうに抱き合って踊る奴等を羨ましく眺めていると背後から「バーモス・ダンサー」と俺に声がかかった。 振り向くと少し肌が褐色の女が俺に手を差し伸べていた。 この瞬間、俺のブラジル定住が決まった――。 この女の誘いの言葉が完全に理解出来たのだ!「バーモス・ダンサー」は(ダンスしましょう)だ! 俺は何の抵抗も無く「シン」(はい)とポルトガル語で応え、初めてブラジル人と心が通じあえたのだ。この後、ダンスに没頭した。 チンプンカンプンの学校よりも、ナイトクラブでの実戦的レッスンが俺の将来を救ったのだ。 それ以来、失敗を恐れず、短期間でポルトガル語が上達し、半官半民の電話会社に就職出来た。 5、6年経った頃、久しぶりに合った同船者の竹本氏が、俺のぎこちない日本語を聞いて心配し「君、社会復帰しなくては」と言いやがった。 ダンスに誘ってくれて、朝食まで作ってくれたあの女性は、今、80歳位だろう、会って「ありがとう」を伝えたい。 あの日から、彼女とは2度と会えなかった【ロス・インディオス】とか云う日本のバンドグループと姿を消したと噂で聞いた。