「張本さんのお話泣いた」張本勲氏が「サンモニ」で自らの被爆体験語る 被団協ノーベル賞「ホッとした。感謝してますよ」
野球評論家の張本勲氏が20日、TBS系「サンデーモーニング」にVTR出演。原水爆被害者団体協議会(被団協)が2024年ノーベル平和賞を受けて、自らの被爆体験について語った。 同番組の名物コーナ「週刊 御意見番」で2021年末まで御意見番としていた張本氏。番組司会の膳場貴子アナウンサーがインタビューし、「この受賞決定を受け、これまで自らの被爆体験について多くを語ってこなかった張本さんが、重い口を開いてくれました」と紹介した。 張本氏は受賞について「ホッとしましたね。感謝してますよ。だけども、もう少し早くもらいたかったですね。亡くなった先人達にも聞かせてやりたかったです」と喜びつつも、複雑な思いを語った。 1940年に広島市で生まれた張本氏は5歳の時に自宅で被爆。「友達と遊ぶために(家を)出ようとしたんですね。ばあっと光って、どん。いわゆるピカドン。『何かな?』と思ったら、お袋が(私と姉に)かぶさって私たちを助けてくれた。白い服でしたから真っ赤にね、ガラスの破片とかが刺さって血がにじんでた」とその瞬間を振り返った。 自宅は爆心地から2キロ余りの場所にあったことが幸いしたが、勤労奉仕に出ていた6歳上の長姉が亡くなったといい、苦しみながら亡くなった様子を涙ながらに語った。その後、被爆したことで差別を受け、自らの体験を口にしなくなったという。 張本氏は60代になって、自らの体験を新聞に寄稿。これ以上苦しい思いをしたくないとの気持ちから「(原爆投下の)8月6日を消してくれ」と書いた。これを読んだ小学生の女の子からの手紙をもらい、「『逆でしょう。8月6日はなくしちゃだめですよ。終生忘れないように』と言われて、ハッとしました」と目の覚める思いになったと述懐。「人間が人間を滅ぼすようなことが絶対あってはならないことを、100年はおろか1000年でも人間が生きている間は語り伝えてもらいたい」と語り継ぐ大切さを説いていた。 ネットでは、「張本さんのお話泣いた」「張本さんの話は心に染みました」「張本さんの被爆体験はありがたかった」「お元気そうでなにより」となどとの声が寄せられ、中には「被爆者だったというのは初めて知りました」という声もあった。