【イスラエル取材記・前編】数秒おきに断続的な砲撃音…快晴なのに“煙”でかすむガザの空
イスラエルとイスラム組織「ハマス」との軍事衝突で緊迫する中東情勢を受け、私は発生12日後からおよそ20日間にわたりイスラエルで取材を行った。パレスチナ自治区ガザ地区をのぞむ町で、戦況が進むにつれ目にした“変化”とは…。 (NNNニューヨーク支局長 末岡寛雄)
■テルアビブへ…故郷イスラエルに帰るユダヤ人 ごった返す機内で見たもの
10月19日、ハマスによる攻撃から12日が過ぎた日の昼すぎ、アメリカ・ニューヨーク郊外にある空港のチェックインカウンターには、黒い帽子、白いシャツに黒いスーツという伝統的な服装を身にまとった大勢のユダヤ人男性とその家族が詰めかけていた。第二次世界大戦のホロコーストの記憶があるユダヤ人は、子だくさんの家庭が多い。子ども4~5人を連れた一家や、10を優に超える大量のスーツケースを預けている家族もいた。 この日、イスラエルの国営会社、エル・アル航空のテルアビブ行きの機内は満席だった。食事が終わると機内の男性が一斉に立ち上がり、機首に向かって――すなわちイスラエルの方向に頭を垂れ、一斉にユダヤ教の祈りが始まった。通路を挟んで座った女性に話を聞くと、今回の攻撃を受けて、母国と親戚を助けるためにたくさんの物資をイスラエルに運ぶという。 ニューヨーク都市圏(ニュージャージー州、ペンシルベニア州を含む)には、イスラエルのテルアビブに次ぐ、およそ210万人のユダヤ人が居住していて、その数はエルサレムの70万人よりも多い。ガザ情勢の悪化を受けて欧米の航空会社が軒並みテルアビブ便を欠航とする中、エル・アル航空はニューヨークとテルアビブの間を安息日を除いて一日4便も飛ばしていて、物心両面でイスラエルの支えとなっている路線であることがうかがえた。 大西洋航路の短い夜が明け、テルアビブに到着すると、隣に座った女性にこう話しかけられた。「あなたは、どっちの味方なの?」と。 降機すると目の前に現れたのは「シェルター」の方向を示す看板。イスラエルが戦時状態だということを一気に現実として感じた。