藤原道長のイメージが変わった?「一族の繁栄のため」というよりも… 日記から物語から浮かぶ性格は
譲位した三条天皇が残した歌
たらればさん:ドラマでは、三条天皇が譲位する直前に詠んだとされる歌が出てこなかったのは残念でした。百人一首にもとられている有名な歌です。 <心にも あらで浮世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな> もしもわたしが心ならずも生きながらえてしまったならば、この夜の月をきっと恋しく思い出すだろう、という意味です。 このときには三条天皇はもうだいぶ目を悪くしていて、月はぼんやりとしか見えていなかったと言われています。自分の人生って何だったんだろうな、という切なさとか後悔だとか、悔しさとか、恨みだとかが、そういう現世への想いを月の光が優しく包んでくれているという解釈ができる歌です。 わたくしはこの歌がとても好きなんですけど、作中では詠まれませんでしたね。 水野:三条天皇はかわいそうでしたね…。ドラマでは「闇でなかったことなどあったか」という苦しい最後の言葉を残して去っていったので…。残り放送回が数回しかありませんし、泣く泣くカットだったのかなと思いました。
赤染衛門が書いた?道長の栄華を記す『栄花物語』
たらればさん:この「光る君へ」というドラマは、史実や研究を大胆に逸脱した一面と、最新の研究や知見が積極的に盛り込まれる一面が共存しているなと思います。 たとえば実資の『小右記』に記されている「望月の歌」については、これまであまりスポットが当たってなかった実資の性格や言動が丁寧に描写されていたからこそ、「これまで文句や批判ばかり日記に書いていたあの実資が、望月の歌については特に文句も嫌味も書いていない」という演出がすっと頭に入ってきます。 この時の実資は、この歌については素直に記録描写に徹していて、(たとえば「ひどく傲慢な内容だったのでここに残してやろう」というような)嫌味で書いたとは思えないんですよね。 もちろん受け取り手の数だけ解釈があるので、いろいろな印象があっていいとは思うのですが、わたしも「なかなか優美な歌であるなあ、ただこの状況で返歌は無理だから、故事にちなんでみんなで唱和する、という切り返しは我ながら上手くいったし、その提案がみんなにも道長卿にも受け入れられて、よかったよかった」くらいの印象を受けました。 そもそもの話として、「望月の歌」は、和歌としてはあまりデキがよくないですよね。三十一文字しかないなかに、「思う」が2回も出てくるし。 水野:た、たしかに。酔っ払いながら詠んだ、みたいな説もみたことがあります。 たらればさん:本人(道長)も自分の日記には書きとめていないほどですから、ちょっと詠んでみようと思った程度の歌だったのかもしれません。それが千年後に残るとは。 水野:筆まめな実資が『小右記』に残してくれたから、わたしたちは今でも「あの歌が!」って騒げると思うと、ほんとにすごいことですね。 ちなみにドラマ最新回では、道長の妻・倫子さまが「殿のすばらしさを輝かしき物語にしてほしいの」「衛門の筆で、殿の栄華を」と赤染衛門に依頼する、という流れがありましたね。これは『栄花物語』ですよね? たらればさん:そうでしたね~。はっきりと執筆者がわかっているわけではありませんが、『栄花物語』は彰子さまの女房・赤染衛門が書いたと言われています。 実は『栄花物語』の中には、敦成親王(後一条天皇)誕生の部分など『紫式部日記』がまるっと使われている部分があって、おそらく女房同士で参照しあったんだろうな、と言われています。 道長の若い頃のエピソードも記されますが、ハイライトは藤原道長の栄華を、『紫式部日記』とパラレルなかたちで記しています。 時代を伝える貴重な資料にもなっていますし、『紫式部日記』や『枕草子』、『栄花物語』もふくめ、あの時代の要素がいろんな角度でいろんな人の手で残っているのはありがたいことですし、残してくれた人々に感謝ですよね。 実は道長は、自分の日記『御堂関白記』に、「(子孫は参考にするだろうけど)これは読んだら捨てるように」みたいなことを書いているんです。 水野:そうなんですか!? たらればさん:それが今も、(誤字や取り消し線もそのままの)直筆が千年残ってて、国宝や世界遺産になっちゃってて、本人の立場を考えると、ちょっとかわいそうな話ではありますね(笑)。 ◆これまでのたらればさんの「光る君へ」スペース採録記事は、こちら(https://withnews.jp/articles/keyword/10926)から。 次回のたらればさんとのスペースは、12月15日21時から。最終回にあわせて、「光る君へ」で印象に残ったシーンを尋ねるアンケート(https://forms.gle/PnCrn2uKnjAnjXKC9)を実施しています。ぜひご協力ください。