TKO木本、投資トラブルで失った「本当に大切な物」 億単位の借金を抱えた以上の「喪失感」だった
また、暗号通貨の取引に失敗した現実が、僕の心に火をつけました。自分が子どもの頃からあった「一番になってやる。誰よりも詳しくなってやる」という負けん気が発動したのです。本も何十冊も読み込みましたし、プロの話も聞きました。投資に興味を持つ仲間たちと”研究会”を開いていて、そこで身につけた知識を披露すると、 「木本さんの知識はすごいですね。プロ並みじゃないですか」 などと、おだてられて悦に入っていたところがあったのです。
そうして興味を抱いたトピックに関しては徹底的に研究してしまう僕でしたが、仲間たちと投資の話をしているのが、「楽しいし、おもしろい」世界だったのです。ギャンブルと同様に、ネットやITの世界にはもともと興味はありませんでした。 でも「楽しみながら、お金が増えるなら最高じゃん」という気持ちになっていて、自分がのめり込んでいるものが「ほとんどギャンブル」であるとは気づけませんでした。 いまさらながら振り返ると、「投資に関心」を向けてしまったのが、失敗の分岐点でした。なんども強調しているように、僕は興味がないことがらには関心の目を向けることがありません。でも、自分の中で「投資という扉」が開いてしまった。
そこに将来への不安。大御所芸能人でも投資をしているという事実。そして、僕自身が”研究会”の中心でいる心地いい状況。そんなものが複合的に絡み合って、「投資というギャンブル」に僕をのめり込ませたのだと思います。 さらに突き詰めると、自分が扉を開いたことにより、本来ならば呼び込むことがなかった人たちを引き寄せてしまったのです。 「うまい話には裏がある」 「おいしい話にはご用心」 投資サギに遭わないための格言です。僕だって、それくらいは知っています。ところが、投資に熱を上げているとき、そんな格言はこれっぽっちも頭に思い浮かびませんでした。
僕が投資に興味を持つ以前に戻れるのならば、 「じぶん、ギャンブルには興味なかったのちゃうんかい!」 と、全力で止めると思います。 ■「信用されること」がモットーだった 「報道されると、いろんな誤解を生むんやろな」 投資トラブルが報道される直前、僕はそんなふうに思っていました。 その結果、信用を失うだろうと。 僕は、 「信用されること」 「人から信用を失うのがなによりも一番怖いこと」 をモットーに生きてきました。それは父からも口すっぱくいわれてきたことでした。