「一生分の借金かな」デビット伊東、妻のため最後のラーメン店…元相方・ヒロミへの思いも明かす
「一生分の借金」ラーメン店にかける思い
役者として舞台やドラマに出演している中、バラエティー番組の企画がきっかけでラーメン店に修行することになったデビット。その道にのめり込み、2001年に、自身の店『でびっとラーメン』をオープンさせた。 デビット:修行をし始めたらハマってしまって、一生懸命やってたら従業員抱えて。会社とはなんぞやって勉強して。 ーー初めての一般の人の仕事でしたか? デビット:そうそう。アルバイトもそんなやってきてないし。もう19歳からこの世界入っちゃってるから。やっぱりテレビの影響もあったからすんごい行列だったし。対応するのも大変だったから。外から言われてたんじゃない?しょせん芸能人だろうって。すぐ辞めんだろうって。でも24年も経つと何も言われなくなった。 ーー仕事で始めたラーメンがどの段階で楽しくなったのですか? デビット:楽しいというのは、多分すぐ舞台だと切り替えたから。お客さんのために、お客さんを笑わすためにっていうふうに切り替えちゃったら、それはずっと楽しい。ただ、会社として従業員を抱えることが大変だった。そっちの方が。 ーー番組が終了しても、そのラーメン店を続けてくことになったのですか? デビット:そう、引き続きやって。出店、出店して。出店しても銀行は貸してくれないし、お金を。何万回って行って貸してもらって。それからだね。以前のそれはそれで番組の企画だから。その後どうするんですかと。それじゃあ従業員のためにやります。 日本のみならず、海外にも6店舗出店し、ラーメン店としての成功を収めた「でびっとラーメン」。しかし、コロナの影響で経営が傾いた。 デビット:俺はお金を借りてこようと。お金を借りてきて、ドンとみんなに渡してこれでどうにか生活してくれ。必ずコロナは明けるから。 ーーいくら借りたのですか? デビット:教えないよそれは。一生分の借金かな。俺のこっから先。残りの人生かけてうちの従業員を守るし奥さんも守る。 ーーお店の名前を新しい名前で始めたのは何故ですか? デビット:いや2人だけだから。でびっとラーメンのスタッフは入れないしメインは奥さんのお店。基本的に。僕はでびっとラーメンもサポートするし芸能も続けてるわけだし。 真鶴町に移住し、新たに『伊藤商店』をオープンさせたデビット。都会から移り住んだ理由は、店の立地だけではなく、妻・能子さんの体調が変化したことにもあった。 デビット:ぼーっとしてる時間が増えてたかな。だから俺の中では守りきれなかったっていう。心のストレスじゃないけど、家でじーっとしてるわけだし。色んな所を見に行って、ゆっくり過ごせる所を探した。そしてこの町民に出会って。この町はコロナを知らないというか。マスクはしてるけどめちゃくちゃ近いんですよ会話が。俺たちはそれが癒された。そして移住を決めて。多分俺のことを芸能人だと思ってないと思う。普通のおっさんだと思ってる。 ーーそれはいいことなのですか? デビット:すごくいいこと。僕たちはやっぱり19・20歳からもうデビューしちゃってるし。虚勢を張っているというか。一般じゃなくて芸能人って。それが嬉しくて嬉しくて。フラット、みんな。子どものときからずっと引っ越しばっかりしている家族だったから、本当の友達はいなかったんだよね。だから、そうやってすごく近くで接せられると、嬉しい反面、どうしていいか分からない事もある。 一方、妻の能子さんは… 能子さん:(気持ちが)全然楽です。見栄を張る必要もないし。分かりやすく言えば“デビットさんの奥さん”って呼ばれ方を今までは知らない人ならするじゃないですか。それが、ちゃんと名前で呼んでくれるんですよ、ここは。薬局とかスーパーで初対面の人に会っても「たかこさん」ですよねって。下の名前でちゃんと呼ぶんです。デビットさんに対してもちょっと距離をとってコソコソっていうよりは「あらデビットさん何してるの」って。 デビット:まあでも、最後のすみかにはなる。