孤独が磨く最高の「切れ味」83歳いまなお進化──山奥の町、最後の鍛冶職人
弟子はお断りです
妻を亡くし現在一人暮らし。娘や息子はそれぞれ独立している。進学のため中学卒業後すぐに家を離れた息子が鍛冶屋を継ぐという話になったことはない。片桐さん自身も子供に跡を継がせようとしたり、弟子をとろうとしたりしたことは「そういえば1度もないなあ」と小首を傾げる。とはいえ70年磨いた技術。誰かに引き継ぎたいと思うのが自然では――そう問いかけると「(子供らは)楽しくやってるからそれでいいだね」と少し突き放したように語る。「職人は儲からん。良い会社に入って給料をもらうのが一番良いんじゃないかね」と家族に対し鍛冶以外の道を歩んで欲しいと願う。 「私はどうにかつながったけど、鍛冶はよっぽど上手じゃないと成り立たん。親父も苦労したから(生きていたとしても)3代目までやれとは言わないと思う」。大量生産の安価な刃物が流通している昨今、わざわざ鍛冶屋に買いに行く人は少ない。「手広くやっていても正直なところなかなか厳しい」と現状を嘆く。例えば1カ月に10万円の給料を弟子に支払ったとしたら親方の取り分はなくなってしまうという。また仮に景気が良かったとしても「鍛冶の仕事は体がエラい(しんどい)でなあ」と家族に跡を継がせることには否定的だ。
一方で片桐さん自身は鍛冶への情熱を捨てていない。鍛冶屋の需要が減っても遠方から客は訪れる。「だからまだやろうと思うね」と気を引き締める。取材中も浜松市の中心部から20代後半くらいの若い客が、釣った魚をさばくための包丁を買いに来ていた。インターネットで片桐鍛冶店の評判を知り買いにきたそうだ。片桐さんは客をわざわざ仕事場に案内し「包丁はこうやって作るんだ」「これが金原鎌ってやつだよ」と説明している。70年分のこだわりを話し始めると止まらない。 そんな客の期待に応えるように、片桐さんは今からでも「武者修行に出たい」と鍛冶に胸を焦がす。その言葉に記者が反応すると「しゃべりすぎた。年寄りなのに恥ずかしい」と照れながらも、自身の「仕上げ」の技に納得していないことを明かしてくれた。昔は見た目より切れ味が優先されたが、今は見た目も重要だと片桐さん。時代の変化を見据え仕上げの技術向上にこだわっている。まだ不完全燃焼。そのため誰かに店を譲ったりする気にもなれない。 弟子になりたいと希望者が訪れることは何度かあったが、全て断ってきた。「私がスパッと辞められるなら店をあげてもいいけど、そこが難しい。それに儲からんぞと言ったらみんな引っ込んだよ。技術は教えるものじゃない。自分でうまくなりたいと思って研究しないとダメだ。こっちが教わりたいくらいの奴が来るんならいいんだがね(笑)」