スピード狂、麻薬密売、薬物乱用…カントリーの旗手、エルヴィー・シェーンが語る波瀾万丈の人生
薬物依存を乗り越えた「歌う伝道師」
2016年にシェーンは、テレビ番組『アメリカン・アイドル』に出演して「House of the Rising Sun」をソウルフルに編曲して歌った。番組は第1ラウンドで敗退したものの、数年後にナッシュビルのBBRミュージック・グループと契約した。2021年に彼は、デビューアルバム『Backslider』をリリースし、ローリングストーン誌のベスト・カントリー・アルバムの1枚に選ばれた。アルバムからのシングル曲で、継父と息子との関係を歌ったソフトなバラード曲「My Boy」は、各チャートでヒットした。しかし、そんな成功の日々も長くは続かなかった。シェーンは再び薬の瓶に手を伸ばすようになっていた。 「贅沢な悩みってやつだったのさ」と彼は、チャートのトップからの陥落について語った。「俺は妻に、“俺の周りで変化が起きている。これからどうするかを考えなければならない”と告げた。『Backslider』が完成した後は、“これで終わりじゃない。やるべきことがもっとある”という考えで頭が一杯だったからな」。 シェーンは再び薬を止めて、『Backslider』のプロデューサーを務めたオスカー・チャールズと、いくつかの新曲をレコーディングした。ジョニー・キャッシュのほか、マック・ミラーやニプシー・ハッスルら今は亡きラッパーたちからの影響を色濃く受けた作品だった。ダマスカスを目指した使徒パウロのごとく、シェーンはレコーディング・セッション中に変化を遂げたという。スタジオで生まれ変わったシェーンは、聖書の物語と、超強力な鍛造鋼であるダマスカス鋼にちなんで、ニューアルバムのタイトルを『Damascus』と名付けた。 今年4月19日にリリースされた『Damascus』は、深刻なテーマをメインストリームのカントリー・ミュージックに再び取り込むことを目的とした、輝かしいプロジェクトだと言える。アルバムには、刑務所制度の非人間化(「215634」)、田舎における麻薬の蔓延(「Appalachian Alchemy」、「Pill」)、社会に馴染めない感覚(「Outside Dog」)などを歌った13曲が収録されている。 ゴスペル風の「Does Heaven Have a Creek」をはじめ収録曲の多くには、シェーン自身の宗教的な生い立ちの影響が感じられる。13歳でザナックスを吸い、17歳で大麻に手を出すなど麻薬に溺れた10代を過ごしたシェーンは、18歳の時にバプテスト教会の牧師になることで人生の軌道修正を図ろうとした。 「歌う伝道師と呼ばれていたんだ」と、チキンとブルームーン・ビールのランチを取りつつ、先程レース場で誰かからくすねたタバコをふかしながら、シェーンは言う。 教会内部の対立に苛立ったシェーンは、ある時、説教の途中で突然教会を去った。「檻の中の動物のように感じて、聖書を閉じて出て行ったのさ」と彼は言う。「でも教会は好きだし、教会から得たものは多い。特に『Damascus』がそうだが、俺の音楽には教会からの影響が取り込まれている。」 一般のカントリー・ファンが1年間に稼ぐ金額の3倍はするスポーツカーに試乗したシェーンだが、彼には、社会から取り残されたと感じる人々に共感する才能がある。『Damascus』に収録された楽曲「Forgotten Man」で彼は、達成不可能なアメリカン・ドリームを情熱的に非難している。マール・ハガード「Workin’ Man Blues」の現代版といった感じだ。「ガソリンは高いし、土地の値段も高い。祖先から受け継いだ土地以外は買うことができない」と吐き捨てるように歌う。リトル・ビッグ・タウンをフィーチャーした楽曲「First Place」に登場する主人公は、バーテンダーに氷を少なめにするよう頼む。そうやって少しでもウィスキーの量を多くしようと考える。「銀行預金と予算と給料の金額を見比べながら」と彼は歌う。「俺には街で飲み歩く金が無い」。 今年4月初旬に開催されたロック・ザ・カントリー・フェスティバルでは、キッド・ロックとジェイソン・アルディーンがヘッドライナーを務めた。同フェスティバルのオープニング・ウィークエンドに出演したシェーンは、ニューアルバムから「Forgotten Man」を披露し、熱狂的な反響を呼んだ。政治に関してシェーン本人は「かなり中立的」だと言うが、彼はこの保守的なフェスティバルでのパフォーマンスを選択した。シェーン曰く、フェスティバルに集まるオーディエンスについてよく理解しているからだという。 「俺も彼らと同じ境遇の出身だ」と彼は言う。「マレン・モリス、ブラザーズ・オズボーン、シェリル・クロウなんかが出演するフェスティバルだったとしても、俺はオーディエンスと共感できただろう。閉鎖的なカルチャーの小さな町で生まれ育った俺は、幸運にも、そこから世界へと飛び出せたんだからな」。