森永卓郎流・仕事で幸せになる方法 「資本の下僕になるのではなく、一人ひとりがクリエイティビティを発揮し、仕事をアートに」
しかも優秀な人は一握り。 どこの組織にももれなくバカな上司はいたが、計算尺を使えば高付加価値のレポートが作れると思い込んでいるような頭の古い上司もいた。 既にパソコンが導入されていたので、計算尺などというアナログ式の計算用具を使わなくても1秒で計算できるのに、当時50代だった上司の多くは進化が止まっていたのだ。 そんなシーラカンスのような上司に服従しなければいけないというのは、ストレス以外のなにものでもなかった。 できない目標を押しつけられるというのも日常茶飯事で、当然のごとく部下は「それができたら苦労はいらない」「言うは易しだ、おまえがやれよ」と不満を募らせる。 そんなある日、銀行出身の部長が「俺が見本を見せる」と豪語して営業に繰り出したことがあった。 果たして50万円のプロジェクトを受注してきたのだが、その仕事を実施するためには500万円以上のコストが必要になるのは明らかだった。 結局、私のチームが尻ぬぐいをすることになったが、部長は新規顧客の開拓が成功したことに上機嫌だった。
ただ今にして思えば、そもそも会社組織というのは理不尽な世界なのだ。やっと仕事に慣れてきたと思った矢先に異動を命じられたり、人づきあいが苦手なのに営業回りをさせられたり、仕事中に漫画を読んでいるような同僚が自分より先に出世したりする。 私は専売公社時代に体験した恐怖の日々が忘れられない。 管理調整本部主計課に配属された私は資金係の仕事を経て予算第二係に移ったのだが、そこから始まった1年半は大蔵省(現・財務省)の奴隷と化し、すべての自由を奪われた。 この時期に受けた屈辱と激しい鬱憤が『ザイム真理教』という本を書いた原点となっている。 もちろん私怨を晴らすために出版したわけではない。 自分の一言で思い通りに人が動くという経験を積み重ねた官僚は、自分が全知全能の神だと勘違いしてしまう。そこに『ザイム真理教』の源流があり、延いては国を駄目にしていくという問題を取り上げ、私の「奴隷目線」で見た大蔵省の実体を明るみにしたのだ。