「雨上がり」宮迫博之、土下座して引き留めた女性マネジャーへの恩
…あとね、当時の僕、クソほどダサかったんです(笑)。ファッションに本当にこだわりがなくて「着るもんなんて、何でもエエやんけ!!」と。ジャージーにわらじをあわせて履いていたくらいですから…。そこに対しても、小池が「テレビに出ている時だけでなく、普段の格好から気にされた方がいいです。そうしないと、空気がなじんでいかないです」と。小池自身が“吉本のオシャレ泥棒”と言われるくらい、流行の最先端を取り入れたオシャレな子でしたからね。一式、小池がコーディネートしてくれてました。 ファッションで外見が変わったのにプラスして、中身というか、考え方も変わりました。以前は、人見知りがひどかったのもあるし、とにかく閉ざしてたんですよね。若さゆえのツッパリもあったんでしょうけど、スタッフ飲み会とか、打ち上げなんて行く気はサラサラなかった。それが、変わりましたね。「そういうところも、ちゃんとした方がいいです」と小池に言われて。 なんで、そこまで小池の言葉がスーッと当時の僕に入ってきたのか。その頃は、僕らもどん底の状態で、そこで「一緒に売れていきましょう」と言ってくれたのがうれしかったんですけど、本当に、本当に、よくやってくれてたんです。 吉本って、自宅から仕事場への送り迎えはないんですけど、小池がついてる間は小池の車でずっと送ってくれてたんです。アカンのですけど、僕は劇的に遅刻するんで…。そら、大変やったと思うんです。だんだん仕事が増えてきて、僕自身、寝られないくらい忙しい日もありましたが、その送り迎えをするということは、小池はもっと寝られないわけですからね。運転中に気を失うという、あってはならないこともありましたけど(笑)、そらね、怒れないです。メチャメチャ感謝しかないです。 結局、10年ほどついてくれたんですけど、ついて5年目くらいの時ですかね。「救命病棟24時」(フジテレビ系)とか、僕がいろいろドラマに出だした頃でした。やっと、芝居方面のつながりもできてきた時に、異動で小池が僕らから離れるとなったんです。それを聞いて、すぐさま、今の吉本興業社長の大崎洋さんと僕と小池で食事に行かせてくれと。レストランに行って、僕、土下座しました。「今、替えんといてください!!今、替えたら、吉本的に損です。ドラマや映画の世界とつないだパイプが切れてしまいますし!!」とひたすら頭を下げました。結果、小池は僕らのマネジャーやりながら、新たに俳優部の担当にもなるという形に落ち着いたんです。