『職人』コーチが増えた阪神の2軍…でも、もっと大物が…「育てる2軍」と「勝つ1軍」、確立できれば虎の前途は明るい
◇コラム「田所龍一の『虎カルテ』」 藤川球児新監督の就任発表から甲子園球場での「秋季練習」、10月24日の「ドラフト会議」―と、まるで何事もなかったかのように球団行事が進んでいく。阪神はやはり岡田彰布前監督に応援してくれたファンへの《けじめ》の会見をさせてあげないつもりなのだろうか。寂しい…。そんなことをいつまでもグジグジ言っているのは筆者だけだろう。 つまらぬ感傷はそれぐらいにして今回の『虎カルテ』はドラフト会議から取り上げよう。 今年のドラフトが成功か否かは分からない。支配下指名5人、育成指名4人、みな将来有望な選手ばかりと信じている。「気になった」のは3位以下の7人が「独立リーグ」(くうふハヤテはNPB所属のファームチーム)所属の選手ということだ。 藤川監督も米大リーグのレンジャーズを自由契約になった2015年の6月に独立リーグ、四国アイランドリーグplus・高知ファイティングドッグスに入団。6試合に登板し2勝1敗、33イニングを投げて奪三振47、防御率0.82の成績をマークしている。 このときの入団は「地元の子供たちに夢を与えたい」とプロ球団のオファーを断わったものでしかも無報酬。それどころか「自分が登板した試合のチケット売り上げから10%を児童養護施設に寄付する」という契約。わずか半年ほどの「独立リーグ」所属だったが、その間に監督や首脳陣と話をし、選手と触れ合い、彼らがどんな強い気持ちでプロ野球(NPB)を目指しているか―を知った。 「独立リーグの強みは試合が多いこととハートの強さ。それはこの世界で生きていく中で絶対に大事な部分。大切にしてもらいたい」。藤川新監督はこう彼らに期待した。 彼らを育てるのは藤川監督ではなく、4度目の監督に就任した平田監督以下2軍の首脳陣である。あるOBが以前、こんなため息をもらしていた。 「プロ野球はいつから2軍で監督やコーチを育てるようになったんだ? 2軍は若い選手を育てる場であってコーチを育てる場所じゃない。昔は―というと嫌がれるかもしれないが、昔の2軍には、教えることが大好きで何十年もコーチを務めている《主》のような職人コーチがたくさんいた。若い選手たちは親父やおじいちゃんのようなコーチからプロの技術はもちろん、心構えを教えられ、悩みも聞いてもらった。ところが今はどうだ? 理論は持っていてもまだ、技術を教えられないコーチばかり。選手が育たないのは当たり前だ」 来季の阪神の2軍には《職人》といえるコーチが増えた。寡黙で黙々と岡田体制のもとブルペンで投手コーチを務めた久保田智之氏(43)が投手チーフコーチ。北川博敏打撃チーフコーチ(52=留任)、馬場敏史守備走塁チーフコーチ(59)。そして今年2軍監督を務めた和田豊氏(62)が1、2軍を巡回して打撃を教える。いや、もっとほかに大物がいるではないか。 「オレは教えるのが好き。若い選手が好きなんだなぁ」と2軍監督時代にそう話していた掛布雅之阪神レジェンド・テラー(69)。岡田彰布前監督も体調さえ戻れば…。なにせ、今シーズン、森下のアッパースイングをダウンスイングに矯正したのは岡田監督なのだから。「育てる2軍」と「勝つ1軍」、これさえ確立できれば、タイガースの前途は明るい。 ここで西武の黄金期や今のソフトバンクの基礎を築いた《チーム作りの神様》根本陸夫氏(故人)の言葉を思い出したのでご披露しよう。 『強いチームの作るのは球団の仕事。監督は与えられた戦力で勝つのが使命。育てながら勝つ? 1軍の監督に選手育成まで任せるのは、球団フロントの怠慢である』 そして最後にもう一人、2004年から8年間、中日で監督を務め、リーグ優勝4回、2位3回、3位1回、「日本一」1回と輝かしい成績を残した落合博満氏は―。 『ボクは選手を育てない。育ってきた選手を使う。選手を育てるために1軍の試合は使わない。試合は勝つために使う』。う~ん、まさに名言である。 ▼田所龍一(たどころ・りゅういち) 1956(昭和31)年3月6日生まれ、大阪府池田市出身の68歳。大阪芸術大学芸術学部文芸学科卒。79年にサンケイスポーツ入社。同年12月から虎番記者に。85年の「日本一」など10年にわたって担当。その後、産経新聞社運動部長、京都、中部総局長など歴任。産経新聞夕刊で『虎番疾風録』『勇者の物語』『小林繁伝』を執筆。
中日スポーツ