日本発祥の年末恒例「第九コンサート」はウィーンでも行なわれるようになった…芸術の活力は「境界」から生まれる
越境によって様々な対流、新たな創造に
■張 文化の平準化が進んでいくことに対する危機感をお示しいただきました。長木先生はいかがですか。 ■長木 このような平準化の先に、文化的な差異が消失してしまうのか、オーセンティシティーやオリジナリティ、あるいはアイデンティティーが本当になくなってしまうのかどうかは、まだわからないところです。 平準化は進行するでしょうけど、壁が壊れると別のところに壁ができるような気もします。そして、どこかには必ずマイノリティーの人たちがいて、その人たちはやはり常に壁を感じているからこそ、彼らの発言がどこかに壁をつくり、それがまた他とは異なって、際立って見えてくるのではないでしょうか。 ■張 マイノリティーによる芸術活動が大きな可能性を持つということですね。エリス先生からもご意見をいただければと思います。 ■エリス マジョリティーによる規範には潜在的な暴力性があります。そのなかで、どうにか平準化・均質化に抵抗することが多様性を生み出し続ける。その意味では、境界というのはなくなってはいけないと考えています。 三浦雅士さんも「越境とは何か」のなかで、普遍的な空間はないということをはっきりとおっしゃっていました。 自己とは常に他者から生まれるのであるから、他者がいないとそもそも文化も生まれない、越境とは、つまるところ自己という他者への越境であると。自分を発見しつつ、そこで新しいものが生まれていくのだ、ということでした。境界について、どこまでも問い続けていく必要がありますね。 ■張 境界があるというのは、言い換えれば差異とか多様性があるということなんですよね。越境によって様々な対流が起きていて、それが新たな創造につながります。その意味では、境界の存在自体は悪いことではないと思います。 グローバル化が急速に進んだ時代においても、実は同時にもう1つの動きはあるというふうに指摘されています。これがローカル化ですね。その意味では、そもそも境界というものはこれからも消えることはなく、むしろ境界があるからこそ芸術に新しい活力が生まれるのではないかと思います。 本日はみなさんありがとうございました。
エリス俊子+長木誠司+三浦篤+張競