「この理屈は本当に正しいのか?」…若い合議体が最高裁判決に感じた違和感とは?
疑問の大きい判例に小さな穴を開ける
当時の空港騒音差止めに関する最高裁の判例は、大阪国際空港夜間飛行差止等請求事件判決(1981年〔昭和56年〕12月16日最高裁大法廷判決)であった。 しかし、この判決は、わかりやすくいえば「空港騒音の民事差止めは、いかに騒音が大きくても(たとえ難聴のような重大な健康被害が生じても、と読める)、また、夜間だけの限定的差止めであっても許されない。行政訴訟ができるかどうかについては当方は関知しない」という、疑問の大きい内容だった。 私たちの若い合議体は、民間空港と米軍基地という事案の相違があるため、その事件では、最高裁大阪空港判決の判断枠組みに沿うのではなく、せめて、重大な健康被害が生じた場合には差止めも認められるという一般論を立て、判例に小さな穴を開けたいと考えていた。 しかし、判決の下書きができた段階で、米軍基地に関する騒音差止請求を主張自体失当として棄却する最高裁判決(1993年〔平成5年〕2月25日)が出た。私たちの模索していた考え方は、この新しい判決に正面から抵触することになってしまったのである。 どうすべきか?私たちはもう一度その点についての評議をやり直し、結局、新しい最高裁判決に従うという道を採った。
最高裁判決は必ずしも正しいとは限らない
一般的にいえば、事案を同じくする最高裁判決がある場合、下級審裁判所(最高裁以外の裁判所という意味である)はそれに従ってよいことが多いだろう。通常の法律論であれば、多くの場合にはそれで問題はなく、法的な安定性にもかなう。例外は、その判断が何らかの意味で明らかにおかしいと思われる場合ということになる。 正直にいって、私たちは、その最高裁判決の理論構成に完全に得心がいったわけではなかった。しかし、当時は、私も、まだ、疑問は抱きつつも、最高裁判決は正しいもの、よほどのことがない限りそれには従うべきものと考えていたため、最新の最高裁判決と真正面から抵触する判決を出すことに対しては、ためらいがあったのである。 しかし、この判決(1994年〔平成6年〕2月24日那覇地裁沖縄支部判決)は、私の心に、トゲのように突き刺さって残った。本当にあれでよかったのだろうか、という疑念がぬぐいきれず、また、考えれば考えるほど、その思いは少しずつ強まっていったのである。 私は、この事件を契機に、本格的に研究に取り組むようになっていった。民事訴訟法学を含む法学の中心的な原則、理論や、裁判制度、法制度の役割に対する理解の足りなさが、前記のような事態を招いたように思われたからである。 『“最高裁歴史の恥部”とまで言われた「裁判官いじめ」への関与を自慢げに語る最高裁判事…うつになるほど耐え難い『最高裁勤め』の実態とは』へ続く 日本を震撼させた衝撃の名著『絶望の裁判所』から10年。元エリート判事にして法学の権威として知られる瀬木比呂志氏の新作、『現代日本人の法意識』が刊行されます。 「同性婚は認められるべきか?」「共同親権は適切か?」「冤罪を生み続ける『人質司法』はこのままでよいのか?」「死刑制度は許されるのか?」 これら難問を解き明かす共通の「鍵」は、日本人が意識していない自らの「法意識」にあります。法と社会、理論と実務を知り尽くした瀬木氏が日本人の深層心理に迫ります。
瀬木 比呂志(明治大学教授・元裁判官)
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