人的補償騒動で急転…【インタビュー】ソフトバンク和田毅「僕を変えた大輔との初対戦と想定外メール」
和田のストレートは、大学生の中でもズバ抜けて速いとはいえない。だがキレはバツグン。140㎞/hでも面白いように空振りが取れ、東京六大学リーグの通算奪三振記録(476)を樹立。プロでやっていける自信が持てたという。 和田は早大卒業後、自由獲得枠でソフトバンクの前身・ダイエーに入団する。ついに松坂と同じ舞台に立ったのだ。 「大輔とは実績がまるで違いましたから、学生時代までは敬語を使っていました。敬語を使わなくなったのは、プロ入り後に開かれた’03年のアテネ五輪予選で日本代表のチームメイトになってから。大輔が『元気?』とフランクに話しかけてくれたんです。神様が、雲の上から地上に降りてくれた感覚でした」 プロでの覚醒のキッカケとなったのも松坂だった。2年目の’04年4月に行われた西武戦。両者初の直接対決である。 「やっと同じ場所で投げられると、晴れ晴れとした気持ちだった。ここで勝てたら、何かが変わると気合が入りました」 息を呑む投手戦となった。松坂は150㎞/hの剛速球で、和田はキレのある球でともにストレート中心の投球。結局0対1で和田は敗戦投手となるが、松坂とともに最後までマウンドに立ち続けた。 「もちろん悔しい気持ちはありました。ただ不思議な感覚でしたね。もっと投げ合いたい、もう終わってしまうのかと……。自分の中でプロとして意識が違うフェーズに入った試合でした。さらにレベルを上げようと真剣に思ったんです」 翌日のスポーツ紙は和田を喜ばせた。西武のコーチがこう話していたのだ。 〈こんな試合はベンチからより、スタンドでビールを飲みながら観戦したい〉 相手チームのコーチさえ、自分の投球に酔った。和田は自信を深める。 しかし、和田は松坂になかなか勝てない。ようやく初勝利を掴んだのは、’05年4月の4度目の対戦だった。和田は8回を無失点に抑え松坂に投げ勝つ。試合後、思いもかけぬメッセージが届く。 〈毅、今日はナイスピー。でも次は絶対に負けないよ〉 送り主は松坂だった。 「ホッとしてバスに乗り込んだ時です。携帯電話をチェックすると、大輔からメールが届いていた。普通負けたら悔しくて相手投手を称(たた)えることなんてできないでしょう。投手としても人間としても、大輔の大きさを実感した瞬間でした」 和田はその後、海を渡りメジャーにも挑戦する。米国でもストレート中心の組み立てで戦った。打者の手元で動くツーシームも覚えた。再び日本に戻り7年目となる’22年のシーズンには、41歳にして自己最速の149㎞/hを記録する。 「プロ入りした当初の目標の一つが、40歳でも先発として投げることでした。本当に達成できるとは……。この歳まで僕が続けられたのは、誰よりも走り込んでいるからです。もう若い時ほど走れませんが、練習量は他の選手に負けない自信はある。いまも自分の最大の武器はストレートです。通用しなくなった時が、辞める時と覚悟をしています。恐さはありません。むしろ、どこまで自分を高められるのか実験的な楽しみがあります」 不惑を超えて、まだまだ成長を続ける和田。元・中日の山本昌に並び、50歳でローテを守るのも夢ではないだろう。 『FRIDAY』2024年1月26日号より
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