人的補償騒動で急転…【インタビュー】ソフトバンク和田毅「僕を変えた大輔との初対戦と想定外メール」
まさかの年明けとなった。 FAでソフトバンクへ加入した山川穂高の人的補償として、『日刊スポーツ』(1月11日付)はチームの顔とも言える和田毅(42)を西武が指名していると報じたのだ。しかし同日夕方には急転。ソフトバンクは、甲斐野央(27)が西武へ移籍すると発表した。『FRIDAY』は昨年末に渦中の和田をインタビュー。常に「引退」の覚悟を持ってプレーするベテランの肉声を紹介したいーー。 「僕はいつでも引退の覚悟で投げています」… 和田 毅「直筆に込めた思い」極秘トレーニング写真 2月に43歳になるパ・リーグ最年長投手に今季の目標を尋ねると、迷うことなく色紙にペンでこうしたためた。 〈二桁勝利〉 ソフトバンクの和田毅。プロ22年目を迎えた大ベテランだ。今季も開幕ローテーション入りが内定している和田が、〈二桁勝利〉に込めた思いを語る。 「若い選手は失敗しても『来年がある』と割り切れるでしょう。でも僕の年齢になったら辞めるしかない。ローテーション投手として、結果を出さなければ意味がないんです。一つの目安が二桁勝利。いつでも引退する覚悟で投げています」 もちろん、43歳まで現役を続ける道のりは平坦ではなかった。和田が歩んだ野球人生を本人の言葉で振り返る。 ◆「一緒に撮ってもいいですか」 日体大野球部に所属し、首都大学リーグで首位打者を獲得したこともある父親の影響などから、和田が野球を始めたのは小学1年生の時だ。高校は実家近くの浜田高(島根県)に進学。’97年と’98年の夏に甲子園出場を果たす。そこで運命的な出会いがあった。「平成の怪物」と呼ばれた、横浜高(神奈川県)の松坂大輔(43)の活躍を目の当たりにしたのだ。 「同学年でしたが、雲の上の存在でした。確か’98年夏の甲子園開会式の直前だったかな。僕から大輔に『一緒に撮ってもいいですか』と話しかけ、記念の2ショット撮影をしたのをよく覚えています」 早稲田大学に進学した和田は、マウンドでの仕草やプレートの掃(は)き方まで憧れの松坂を真似る。125㎞/hほどしか出なかったストレートが、常時140㎞/h投げられるようになったのもそのおかげだ。 「大輔とは右と左(和田は左腕)の違いがあったので、鏡で反転させ自分と見比べたんです。ヒントになったのがグラブを持つ腕の使い方。体重移動する際に身体を腕で止めるように壁を作り、一気に前へ出るんです。下半身の力がうまく伝わり、より威力のあるボールを投げられるようになりました」