三宅裕司、ラジオ40年、劇団45年の節目を振り返る「三世代で観に来てくれる人は大体『ヤンパラ』がきっかけ(笑)」
当時のスケジュール表は一週間真っ黒
――番組の人気に比例するかのように三宅さんの人気もすごいことになっていましたね。ラジオでは月曜から木曜までの2時間の生放送、テレビでも『テレビ探偵団』(TBS)、『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)など、数々のヒット番組でお茶の間の人気者となりました。 三宅:SETという劇団を作って、やっぱり劇団ごと売りたい、売れたいなっていう気持ちが強かったんです。そのために俺は何でもやるつもりだぞっていう気持ちでやってましたね。それは劇団を売るためでもあるし、自分も売れたいし。30歳過ぎで顔と名前が広く知られるようになって、売り出しが遅いわけですから、もっとがんばらなきゃっていうのもありました。当時のスケジュール表をまだとってあるんですけど、一週間真っ黒です。 『ヤンパラ』をやってた頃は、月曜から木曜は前の仕事が終わったらサウナでちょっと汗流して、放送2時間前の8時ぐらいにはニッポン放送に入る。局に入ったら、晩飯を食べながら番組に来た面白いハガキを選んでいく。この繰り返しでしたね。でも、忙しすぎて劇団の活動ができなくなっちゃったんです。本末転倒ですよ。
ライバルだった吉田照美と…
――84年からスタートした『ヤンパラ』は99年に終了しましたが、以降も三宅さんはニッポン放送でレギュラーとして現在まで40年にわたりパーソナリティを続けてます。このたび、ラジオパーソナリティとして40年を記念した本『しゃべり続けて40年 今だから話せるナイショ話 三宅裕司ラジオパーソナリティ対談集』(扶桑社)も発売したそうですね。 三宅:ラジオパーソナリティをテーマに、伊東四朗さん、高田文夫さん、土田晃之さん、吉田照美さん、私を『ヤンパラ』に抜擢してくれた元プロデューサーの宮本幸一さんという5人の方と対談させていただきました。 ――40周年にふさわしい、豪華なメンバーが揃いましたね。 三宅:伊東さんもラジオをやられて40年になるんですが、伊東さんは嫌々ラジオの番組をやることになったそうなんです。でもやるからには、開き直って一生懸命やって、それが長く続いてしまう。そこに伊東さんの人生を感じましたね。 高田先生は(ビート)たけしさんの『オールナイトニッポン』が10年、そして『ラジオビバリー昼ズ』が今年で35年と、生放送で45年。高田先生とお話ししていく中で、自分が東京のものにしかあこがれてなかったっていうことを再確認できました。 当時『ヤンパラ』のリスナーだった土田君。現在、ニッポン放送の日曜は、朝から私の『サンデーヒットパラダイス』で午後からは『土田晃之 日曜のへそ』と、当時リスナーだった少年と並んで番組をやってるというのは感慨深いですよね。 かつてのライバルだった照美さんから初めて聞いた『てるてるワイド』(文化放送)快進撃のポイントが実は全部ニッポン放送の真似だったというのは驚きました(笑)。 そして、僕の人生を変えた一人である宮本さん。自分のために動いてくれる人と巡り会えたことの幸運を、今回の対談で改めて痛感しました。