下世話な商売人をジャーナリストに変貌させた 安政大地震を伝えたかわら版
地震報道かわら版にあふれる気遣い
安政江戸地震を報道するかわら版に、特徴的な要素は何か。その一つは、ただ正確な情報を広めようという意思のみならず、被災者やその関係者を「できるだけ早く、安心させてやりたい」という優しさが込められていたことである。 このことを知るために、次に掲載した「江戸大地震出火場所附」を見てもらいたい。
やや保存状態が悪いものだが(一部箇所は破損)、絵の迫力は伝わってくる一枚だ。遠近法の取り入れ方、構図の取り方からして、記名はないものの、ある程度名のある絵師の作である可能性も高い。 絵を邪魔しない程度に書き込まれた記事は、次のような文言から始まっている。 夫 江戸九分通大地震と聞より 国々の親兄弟のなげきかなしミ いかばかりぞ 片時もはやく安否聞セ可 「江戸の九割で地震の被害があると聞いて、故郷の親兄弟はどれほど嘆き悲しんでいることだろうか。一刻も早く、安否を知らせてあげなさい」 現代語訳すれば、このような感じになる。 安政江戸地震に関するかわら版の多くには、こういった類の言葉がどこかに入っていた。被害の事実を正確に報道するだけではなく、江戸に仕事などで出てきている人が、早く故郷に安否を知らせることができるように、かわら版屋たちは急いでこのような刷り物を発行したのである。 つまり、この類のかわら版を買った人は、これに簡単なメッセージ、例えば「私たち家族は無事です」などと書き込んで、国元に送った可能性がある。実際、災害報道のかわら版の中には、一部を切り取って名前を書き込めば、手紙になるようなものまで存在した。 そして、「江戸大地震出火場所附」の本文の終わりには、こう書かれている。 ようようしづまり 諸人 安土おもいをなす めてたしめてたし 「ようやく地震が鎮まって、みんな安心している。めでたし、めでたし」という締めである。いたずらに被害状況を騒ぎ立てず、少しでも早く平穏な毎日を取り戻したい。そのような思いの表れとも言える。「ジャーナリズムの萌芽」をここに見出しても、決しておかしくはないだろう。 本文が終わり、被害状況の簡単なまとめを記した後には、見慣れない言葉が続いている。 御救小屋 上野 浅草 窪町 外ニ九軒 〆十一軒 冒頭に見られる「御救小屋(お救い小屋)」は、天災地変を速報するかわら版の多くに見られる、重要な言葉であり、情報だった。