「普通じゃないほうが、マシ」 奇抜ヘアーの教授が語る「生きる哲学」
「普通」でないほうがマシなんだ
歴史的に見て、哲学者のほとんどはマジョリティー(多数派)です。そのことに疑問を抱いていた小島教授は、少しずつそうではなくなってきている昨今の流れを推進したいと考えています。多数派である男性の大学教授であり、さまざまな点で「加害者側」である自分の状況に自覚的になれなかったことへの反省から、ギリシャ哲学のほかに、現代の倫理学の研究もしています。 とくに関心を寄せているのが「反出生主義」(アンチナタリズム)です。「これから生まれてくる子どもが人生で受けるさまざまな苦痛を考えると、人は子どもをつくるべきではない」という考え方です。第一人者のデイヴィッド・ベネターの著作を翻訳、「現代思想」(青土社)に寄稿し、この思想の存在を日本に広めました。いま生きていることがつらい人たちが後悔するのではなく、これから苦痛を受けることになる存在者をつくりださないことで、加害を避け、少しでも倫理的に生きる方法として考えられたものです。 小島教授は、高校生や大学生には、「自分の好きなことを見つけて、『普通の暮らしが良いことだと思わない力』をつけてほしい」と言います。 「普通でいるというのは、その時のマジョリティに身を任せていること、おもねっていることにほかなりません。差別され、傷つけられているマイノリティを無視できる。加害していても気づかないでいられるのが、普通でいることです。だから普通でいたいと思うこと自体が非倫理的なんです」 しかし、世の中の多くの学生は、普通に大学に行き、就職して、結婚して、家庭を築いて、趣味をちょっと充実させて、そして、普通に死んでいくことを望んでいます。 「人生は長いから、いつか気づいてしまうかもしれません。それがどんなに恥ずべき無知だったのかを。そんな自分に嫌気がさすときが来ないとは限りません。だから、自分は普通でなくてもいいんだ、普通でないほうがマシなんだ、普通でいることはちっともエラいことではないんだと思える力を身につけてほしい。『みんな違ってみんないい』のですが、普通でいたい人だけは、確実によくありません。多様性の否定に、わずかにでもくみすることになるからです。その点で、確実に誰かしらを傷つけ、それに無自覚でいるフリをしているのです。『普通でないほうがマシなんだ』と思う人が一人でも多くなれば、それでこそ今よりマシな世の中になっていくのです」 小島教授は髪を奇抜な色に染め、短パンとTシャツ姿、サングラスをかけて講義をしています。その見た目をとやかく言う人は、「無知の状態に陥っている、普通を尊ぶ人」なのでしょう。小島教授がサングラスをかけるのは、目の手術を受けて以来、まぶしさを感じやすいからという理由があります。多様性を認めることは、他者を思いやることにほかなりません。 哲学とは、何かにすぐに役立つ学問ではないかもしれません。しかし、自分の生き方を深く考える、大きなきっかけを与えてくれることでしょう。
プロフィール
小島和男(こじま・かずお)/学習院大学文学部哲学科教授。学習院大学文学部哲学科卒、同大大学院人文科学研究科哲学専攻博士課程単位取得退学。博士(哲学)。2009年学習院大学文学部哲学科准教授、19年教授。専門はギリシャ哲学、反出生主義、うどん学。日本うどん学会理事。著書に『プラトンの描いたソクラテス』(晃洋書房)、共著に『面白いほどよくわかるギリシャ哲学』(日本文芸社)、『西洋哲学の10冊』(岩波書店)など、共訳書にデイヴィッド・ベネター著『生まれてこないほうが良かった』(すずさわ書店)。
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