アルプス山脈で結婚式、両親は飛行機事故に…波乱万丈な登山家・今井通子が『テレフォン人生相談』を32年続けるワケは?
世界を飛び回る登山家だが、本業は医師。患者からの評判は“日なたの匂いで元気になる”
ラジオを通して聴こえてくる声も力強いが、目の前に立つその人は、さすが世界の最高峰に登り続けたアルピニスト。威風堂々という言葉が頭をよぎる。 今井さんの人生観。その人間形成に多大な影響を与えたのは、医師だった両親の教育方針だった。 「うちの親は、当時の一般家庭からしたら飛んでましたね」 こう語ると、昔を懐かしむように笑顔を見せた。’42年、眼科医の両親のもと、1男3女の長女として東京都世田谷区に生まれた。 「父は明治生まれでしたが、子供たち全員を医者に育てました。それはつまり、男女の区別をしない人だったということです。女性が働くこと自体まだめずらしかった時代に、私自身、女性でも自立するのが当たり前だと思って育ちました。父は、いまでいうフェミニストだったんだと思います」 自然に親しむことの大切さを教えてくれた両親。週末には、丘や川で遊ぶのが当たり前の子供時代を過ごした。 東京女子医科大学に進学後、山岳部への入部を決めたのも、自然のなかで活動し、健康を保とうと考えたからだった。部活動だけでは飽き足らず、個人山行を始めてからはどんどん山登りの魅力に取りつかれていく。ロッククライミングの技術を身につけると、さらに世界が広がった。 ’67年、ヨーロッパアルプスのマッターホルン北壁登攀に成功。 この山行には、「女性の権利を主張する」という目的があった。 「当時は、主婦連が女性の権利を主張してデモを起こすような時代。闘争という運動では権利は認められない、社会は変わらないと考えた私は、マッターホルンに女性同士で登ることを決断。男性の擁護がなくても登れることを世間に知らしめたいと思ったんです」 ところが下山後、日本よりずっと男女平等が進んでいると思っていた欧州でも、まだまだ女性の権利が認められていないと知った。 「それ以降は山行の目的が変わってしまって。アイガーは新ルートで登ること、グランドジョラスは山頂で結婚式を挙げることがテーマになりました」 ’71年、29歳のときに登山家で「カモシカスポーツ」創業者の高橋和之さんと結婚。2年後には一人娘も授かった。当時はまだ女性の多くが専業主婦だった時代だ。医師として働き続けるためには結婚は必要ないと考えていたが、高橋さんは理想の結婚相手だった。