不法投棄に落書き...凶悪事件の現場に見る「割れ窓理論」の重要性
<現場には「不思議な光景」が>
あるテレビ番組の依頼で、この事件現場を訪れたとき、不思議な光景を目にした。トンネル内の車道の両側にある歩道のうち、殺害現場となった歩道には壁一面に落書きがあるが、反対側の歩道には落書きが見当たらなかったのだ。そこには、壁に接するようにメッシュフェンスが設置され、それが邪魔で落書きができない状態だった(写真⑤)。しかし、なぜ、片方の歩道だけにフェンスが設置されているのか、疑問が残った。 そこで、テレビ番組の担当者に頼んで、川崎市役所に問い合わせてもらった。その回答は、行政もJRも、いつ、だれが、何のためにメッシュフェンスを設置したか分からないというものだった。また、事件前、トンネル内の落書きについて、地域住民から苦情が寄せられることは一度もなかったことが明らかになった。 このことからも、地域住民や自治体職員が、トンネル内の歩道に関心がなかったことが推測される。管理が行き届いておらず、秩序感が薄い「場所」は、犯罪者から侮られてしまう。事件当時、このトンネルは、物理的にも心理的にも「入りやすく見えにくい場所」だったのだ。
その点で、アルマトイ(カザフスタン)の地下道のように、商店が張り付いていれば(写真⑥、写真⑦)店舗からの視線が届くので「見えやすい場所」になる。
だが商店が撤退し、文字通り空洞化すると落書きされてしまう(写真⑧)。そして、それを放置していると、無関心のシグナルになる(心理的に見えにくい場所)。このように、アルマトイでも、割れ窓理論が確認できる。 栃木や川崎の事件は、割れ窓理論が指摘する「環境の乱れが犯罪を誘発する」ということを如実に示している。こうした悲劇を繰り返さないためには、地域における秩序維持活動が不可欠だ。 具体的には、落書きの除去やゴミの回収といった小さな努力を積み重ねることが必要である。そうした行動は、犯罪者に対し、「この場所は管理されている」(心理的に見えやすい場所)というメッセージになり、犯罪の抑止につながることが期待できるのだ。
小宮信夫(立正大学教授[犯罪学]/社会学博士)