ウクライナ戦争は戦争末期へ、ロシア軍の肉弾戦がいよいよ限界に
■ 3.第1段階:ウクライナ全域占領案 第1段階は、侵攻当初、ロシアと接するウクライナ全域に対しての攻勢で、戦線を縮小するまでの1か月の期間である。 ロシア軍は侵攻当初、ウクライナと接するすべての地域から攻勢をかけ、ウクライナ全域を占領しようとする軍事目標と攻撃構想を立案していたと考えられる。 このためロシア軍は、キーウ正面は空挺・ヘリボーン作戦を併用してキーウを北と東側から包囲するように攻撃。 北部正面はハルキウを占拠する攻撃、東部正面はドネツクとルハンシク州全域を占拠する攻撃。 南部はザポリージャ州とヘルソン州を占拠する攻撃、オデーサを占拠して黒海に面する南部の港を占拠するための攻撃をした。 その後、首都キーウ、ドニプロ川東部域、港湾都市オデーサを占領したのち、ウクライナの西部国境まで進撃する計画があったものと考える。 このロシアの案は、100%目標達成した場合である。 ロシア軍のこの構想の背景には、(1)ロシア軍が大きな損失を受けずに2014年クリミア半島やドンバス地域の占拠を達成できたこと、(2)その後、ウクライナの防御準備が十分にできていないという判断があったのだろう。 図1 ウクライナ全域の占領のための攻撃構想(推測) ロシア軍兵の損失は、約1.5万人であった。 ウクライナとロシアの国境線のすべてから広範囲に攻撃したことから、大きな損失が出ても不思議ではない。 だが、意外にもその損失は現在の戦闘結果と比べ最も少なかった。
■ 4.第2段階:ドニプロ川中流域東部から黒海に面する領域の占領案 第2段階は、侵攻1か月後から同年の12月までの期間である。 ロシア軍は侵攻1か月で、作戦の齟齬、兵站支援の困難性、空挺作戦等の失敗から首都キーウ攻略を諦め、キーウ攻略の部隊を東部や南部に転用した。 具体的には、ハルキウを含むドニプロ川東部やザポリージャ州やヘルソン州、オデーサを含む南部領域に攻勢をかける案に変更した。 この構想は、ロシアが黒海沿岸部すべてを占拠して、ウクライナに黒海からの進出を途絶させ、ウクライナを内陸国に閉じ込め、ウクライナ第2の都市を占拠するものであった。 ロシアとしては、戦線を縮小して東部南部に戦略を集中し、その地域の攻撃進展を図ってこの領域を占拠すれば、目標を十分に達成できると考えたのだろう。 現実には、オデーサやドニプロ川東部域の占拠を除き、概ね達成できつつあった。 図2 ドニプロ川中流域の東部域から黒海にかけての占領構想(推測) この段階でも、ロシア軍は、広大な地域において戦ったのだが、比較的損失は少なかった。 その後、ロシア軍はウクライナ軍から攻撃を受け、ハルキウやへルソンから撤退したのだが、その損失は0.5万~1.5万人であり、この戦争の期間では、最も少なかった。