なぜいま「脱植民地化」がより一層重要になってきているのか「その背景」
「脱植民地化」は反ロシアなのか
もちろん、「脱植民地化」論に懐疑的な立場をとる研究者もいないわけではない。彼らの批判は、主に以下の二点にまとめることができる。 まずひとつは、ロシア帝国やソヴィエト連邦は、いわゆる西欧型の遠隔植民地をもっていたわけではないので、旧社会主義国のように実際に独立国として機能していた国や、法的な地位の異なる旧ソ連の構成国のような場所を、ひとくちに「植民地」と捉えて安易に比較を行うことは学問的に適切ではないとする批判である。これは、「帝国」や「植民地」をどのように定義するかという、理論的なアプローチの問題としては、一考に値するものかもしれない。 (社会主義国が「反帝国主義」を掲げる陣営であり、むしろ「植民地主義」を批判していたこともこれに関係する。) だが、今問われている「脱植民地化」は、上に述べたように、単にある事象に対して特定の専門用語の使用が妥当であるか否かといった、定義の問題にとどまるものではない。たとえば、自分がこれまで見落としてきたものがあるとすれば何か、どのような言語の、どのような論者の書いたものを参照することが多かったのか、そこに何らかの傾向が見出せるのか、だとしたら自分はどのような反対意見を見過ごしてきた可能性があるのか――そうした反省の実践に力点が置かれているのである。 もうひとつの批判がまとうのは、そもそも「脱植民地化」なる用語こそ、西欧・欧米中心的な学術界のなかで生まれたものであり、それを無批判に振りかざすことのほうが、多勢に追従する危険を伴うという論調である。確かに、西欧中心主義への批判がまさに西欧的学問の伝統のなかで育まれてきたという矛盾はいつでも忘れないようにしたいところだ。とはいえ、決して無視してはならないのは、こうした「脱植民地化」に期待する声がまさにコミュニティの内側から上がっているという点である。 スラブ・東欧学の有名な学術誌には、英国でも米国でも、ロシア・ソ連の事例研究が掲載されることの方が圧倒的に多く、大学でテニュアを得る教職員に関してもロシア・プロパーの枠がほとんどだ。大陸欧州でいえば、ドイツのような国でも「スラブ学」といえばまずロシア語専攻、という状況に大きく変わりはない。日本でも、ロシア語の講座を開講している大学はすぐに見つかるだろうが(大学で学べる外国語の幅が狭まっているという動向などはとりあえず横に置きつつ)、ウクライナ語を学びたいとなったらどうか。そうした状況を当然視せず、「ずっとこの分野はこうだったから」と流さず、不均衡を生んできた「制度」そのものの問題として向き合っていくことでしか、スラブ・東欧学の将来の展望も開かれないのではないだろうか。 いずれにせよ、このような「脱植民地化」をめぐる議論は、なにもスラブ・東欧学の問題にとどまるものではない。ウクライナに限らず、パレスチナの地でも、人間の尊厳を棄損するような、恐ろしいほど不均衡な暴力がつづくなか、わたしたちはこれまでの思考の枠組みに一度疑問を付す必要があることは間違いない。 理論としての妥当性・有用性を問いながら、態度 ( アティテュード ) としてのde-colonizationを身につけることが、21世紀の世界を生き、その現象をつぶさに分析し、理解しようとする者の責務である。---------- 補足: ・本項では Slavic (Slavonic) and East European Studiesを前提とし、「スラブ・東欧学」で表記を統一したが、「スラブ・ユーラシア学」「中東欧・ロシア・ユーラシア研究」と呼ばれることもある点に留意されたい。 ・筆者も2023年10月に開催されたASEEESのオンライン大会に参加し、「日本におけるスラブ・東欧・ユーラシア研究の再考:『脱植民地化』への分野別の挑戦と応答」と題するパネルでコメンテーターを務めた。2023のDe-Colonizationを引き継ぎ、同学会の2024年のテーマはLiberation(解放)。 本文で言及した本・レポート: ・デイン・ケネディ、長田紀之訳『脱植民地化:帝国・暴力・国民国家の世界史』白水社、2024年。 ・State of Russian Studies in the United States: 2022, An Assessment by the Association for Slavic, East European, and Eurasian Studies ASEEES (Published in August 2023): web19b.aseees.pitt.edu/sites/default/files/downloads/State%20of%20Russian%20Studies%20Report%20Sept%2018%202023.pdf ----------
中井 杏奈