なぜいま「脱植民地化」がより一層重要になってきているのか「その背景」
「脱植民地化」とはなにか
先のような学会参加の経験から、それぞれ10年近い、あるいはそれ以上の時が経ち、そのあいだに「スラブ・東欧学」を取り巻く環境も大きく変わっていった。 前提として、2000年代前後からは、さまざまな他地域・他分野の動向にも後押しされるかたちで、ソ連・ロシアとその周辺国における「帝国」的実践の実態を扱う研究も進展し、かつてソ連邦を構成した、コーカサスや中央アジアの国々を取り上げる研究者も格段に増えていった。その流れは2010年代も変わらず、たとえば社会主義圏の文化や政治運動を総合的に比較検討するプロジェクトなども盛んになり、多様なスラブ・東欧地域の姿が提示されるようになっていったのである。地域的な拡がりや繋がりを意識しながら、「スラブ・東欧学」の見直しが進んでいった時期であったと言える。 (そのようななか、日本での同分野の研究拠点として知られる北海道大学のスラブ研究センターも、2014年に「スラブ・ユーラシア研究センター」に名称を改めるなどしている。) しかしながら、2022年2月24日以降、今までよりもさらに「多様な」地域観を描き出すことは、「スラブ・東欧学」の喫緊の課題となっている。 ロシアのウクライナ全面侵攻開始、そしてロシア・ウクライナ戦争が長期化する過程で、上述の学問のありかたをより根本的なかたちで、今一度「脱植民地化(De-colonization, ディコロニゼーション)」することが求められようになった。2014年のロシアによるクリミア併合を経てもなかなか変わることのできなかった、「スラブ・東欧学」における質的・量的な偏在を見つめ直し、代弁 ( リプレゼント ) されなかった声を掬い上げようという企図がその背景にはある。 そもそも、今日の人文・社会科学の分野では、「脱植民地化」はひとつの主題としてこれまで以上に重要なものになっている、 ここ数年は特に歴史や美術といった研究領域において、実践的な課題とともに論じられてきた。たとえば美術館・博物館の収蔵品や展示品には簒奪されたものが多く含まれるが、展示のなかにそれらを取り入れるとすればどのように負の歴史を含めて解説するか。あるいはこうした遺産の権利を有すると考えられる国や人々から要請があった場合に、返還に応じるかどうか。各コミュニティは、加害の責任やトラウマの記憶とどう向き合うべきか――こうした問いが、キュレーターや美術史家、そして市民社会や、時には出資者の関心事として定着しつつある。 マジョリティを中心に構築されてきた秩序ならびに説明的言語のシステムをどのように解体していくかという問いには、法的・政治的・社会的・学術的な、何らかのアクションがセットで求められる。2021年には、第一次大戦以前のドイツ領西アフリカ(現在のナミビア)でのドイツ人入植者らによる現地住民の殺害を、ドイツ政府がジェノサイドであったと認めたことが大きく報じられた。 最近では、イスラエルによるガザおよびパレスチナ西岸地区への侵攻と、そこで日々繰り広げられる入植者としてのイスラエルの殺戮と暴力を前に、多くの人が「脱植民地化」――つまり、一方的に押し付けられた力関係を解消し、少数者の立場にあるひとびとの権利を擁護するような制度を実現すること――の必要性を認識し、世界各地で抗議活動が日夜続けられている。これはもはや人文・社会科学のトレンドを超えて、見過ごされてきた社会の不正を糾弾する大きなうねりを生み出していると言えるだろう。 このトピックの非常にわかりやすい入門・解説書である『脱植民地化:帝国・暴力・国民国家の世界史』著者でジョージワシントン大学歴史学部名誉教授のデイン・ケネディも、コーカサスでのロシアの軍事行動やジョージアの一部で起こった南オセチア紛争、そして2014年のウクライナ領クリミア併合を例に挙げながら、暴力の連鎖は「ロシアがいまだに帝国の喪失と折り合いをつけられていないことを示唆している」(140頁)と述べているが、スラブ・東欧学における「脱植民地化」はまずもってソ連・ロシア(研究)の隣接地域への影響を再考することにある。 先に挙げた米国スラブ・東欧・ユーラシア研究協会(ASEEES)では、2023年の年次大会のテーマに、まさにこの「脱植民地化」が掲げられ、主催者は、同分野における「時間をかけて確立され、しばしば内面化されているヒエラルヒーを再評価し、権力を放棄し奪い返すという深く政治的な行為」としてのDe-colonizationを再興することを宣言した。 秋に開かれた大会に先駆けての9月には、『アメリカ合衆国におけるロシア研究の現状』と題する浩瀚なレポートが公開された。そこに紹介されている「脱植民地化」に関するアンケート調査の結果からも、「脱植民地化」には、まずは自分たちの分野がもっている傾向性を見つめ直そうとする態度が不可欠なことが示されている。 「キルギスのような国について知るためにはロシアのことを知る必要があるが、逆もまた然りである」という政治学者の回答や、「今日でさえ、わたしたちがウクライナについて話すとき、それはまたもやロシアのことを語っているにすぎない」とする亡命ロシア学者の意見が、同レポートには紹介されている。 これに限らず、2022年2月24日を境に、「脱植民地化」の実践を模索するさまざまな論考やインタビューが続々と公刊されている。もちろん戦争という文脈ゆえ、主にはウクライナを研究する人やウクライナの学者による発信も多いが、コーカサス・中央アジア、バルト諸国やポーランドのような既にEUに加盟した国々の視点も注目に値するものである。 見方によっては、これをロシアやソ連の研究を排除する動きであるかのように思う人もいるかもしれない。上で参照したレポートも、回答者は米国の研究機関関係者がほとんどなので、それ自体が偏った意見を集めたものにすぎないと考える人もいるだろう。 しかし、「脱植民地化」の議論の肝は、まさに内面化された規範を打ち崩すことにある。平たく言えば、自分にとって異和を感じる意見のなかに、どれだけの価値や意味を見出せるのかという省察の過程がそこにあるか否かが大事な指標となる。 単なる「反ロシア」でも「親ロシア」でもない言論空間の創設と研究実践こそ、「スラブ・東欧学」の専門家たちに求められていることなのではないだろうか。当事者の一人として、「脱植民地化」の主眼がどこにあるのかを、まずは議論の土台として理解しなければならないという強い思いがある。