戦後最大の冤罪・袴田事件「ずっと収監されていた巌。出所したら苦労なんてすっ飛んじゃって…」姉のひで子さんが今思う<50年以上も頑張れた理由>とは
◆今現在の巖は妄想の世界を行ったり来たりしております そういう生活でもね、拘置所にいることを思えば何でもない。拘置所に今も入ってるんだったら、わたくしもやきもきしたんでしょうけどね。 2014年の3月27日に釈放されて。わたくしはその時にもう勝ったと思っております。絶対勝ったと思っている。後の裁判とかそういうものは、やらなきゃしょうがないからやってると思ってる。 わたくしは気楽にしておりますが、弁護士さんの先生方は、大変でございます。いちいち(検察に)反論したり、書類を作ったり。それもやっと終わりました。 9月26日には大いに期待して、待っております。皆様、本当に長い間、お世話になりました。おかげで再審開始になりました。 それこそ皆様の後押しがあってこそ、でございます。ありがとうございました。もうしばらくお付き合いいただきたいと思います。9月26日までよろしくお願いいたします。失礼いたしました。(拍手) ※本稿は、『袴田巖と世界一の姉:冤罪・袴田事件をめぐる人びとの願い』(花伝社)の一部を再編集したものです。
粟野仁雄
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