深圳の日本人児童殺害事件で“ズレる釈明”日本と中国で広がる感情の溝
スポークスマンは苦しい答弁をせざるを得ない。 「『個別の事件』であるかどうかを判断するには、ほかにも多くの要因が関係しています。現在の情報から判断すると、これは『個別の事件』です。ただし、詳細は捜査結果を待つ必要があります」 私が驚くのは、このような質疑を外務省のホームページに載せたことだ。突っ込んだ質問、片や、答えになっていないような、スポークスマンの応答も掲載している。冒頭に紹介したように、これまで、知られたくない、また自分たちに都合の悪い質疑はホームページ上から外してきた。 ただ、深圳での日本人児童殺害事件は、日本をはじめ国際社会に、大きな影響が出ている。情報を伏せると、中国の閉鎖性が批判されるという警戒があるからではないか。だが、スポークスマンの発言が、日本社会で別の怒りを呼び起こしているようにもみえる。 児童が死亡した19日の記者会見に戻ろう。スポークスマンはこんなことを言っている。 「同じような事案はどの国でも起こり得ます」 「我々は、日本を含む各国の方々が観光、研究、ビジネスで中国に訪れ、また中国に居住することをいつも歓迎しています」 小さな子供が犠牲になった凶悪事件。火消しを急ぐあまり、「中国は安全ですよ」と強調するが、仮に不幸にも逆の事案、つまり「日本国内で外国人が日本人に殺害される」ケースが起きた場合、日本では「同じような事案はどの国でも起こる」なんて、絶対に言わない。「それは言い訳か」「『安全だから歓迎します』なんて今言うか!」との受け止めが普通だろう。 記者会見のやりとりを公開するのは結構だが、我が子を失った両親、同情を寄せる日本の人々の感性に思いが至ってない。このような発言も、日中間の距離を広げていないだろうか。 ただ、「罪を憎む」「罪を起こした、犯人を憎む」ことは当然としても、私は「中国人全体を『憎む』ということは、やってはいけない」と申し上げたい。 亡くなった男の子の両親は、それぞれ日本人、中国人だと公表されている。彼は日本人のアイデンティティと中国人のアイデンティティの両方を持つはずだ。想像してみたい。この子が日本人と中国人の二つの血を、身体に宿しながら、成長していったとしたら、この難しい二つの国の間で、どんな役割を果たしてくれたか――。そう考えると、本当に残念な事件だ。
■◎飯田和郎(いいだ・かずお) 1960年生まれ。毎日新聞社で記者生活をスタートし佐賀、福岡両県での勤務を経て外信部へ。北京に計2回7年間、台北に3年間、特派員として駐在した。RKB毎日放送移籍後は報道局長、解説委員長などを歴任した。
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