「九州派」でも活躍 「声なき声」を内省的に探究した画家尾花成春 福岡・久留米市で展覧会
前衛美術集団「九州派」などで活躍した福岡県うきは市吉井町出身の尾花成春(しげはる)(1926~2016)は故郷に根を張り、筑後川周辺の風景などをモチーフにしながら、自己の内面やこの世界の本質を見つめようとした画家だった。同県の久留米市美術館で開催中の展覧会「ちくごist 尾花成春」は、内省的な探究を続けた尾花の歩みをたどっている。 「花に語る」2010年 個人蔵 尾花は旧制中学の図画教師が唯一の師で、ほぼ独学で絵を描いた。「お前の山には存在感がない。山の裏側を描け」。父、光二に言われたこの言葉を生涯、心に留めて創作した。 1957年に参加した九州派では、「黄色い風景」と題した作品をいくつも残す。幼い頃に見た菜の花畑の広がる筑後平野の風景を、廃材や藁(わら)のほか、九州派を象徴するアスファルトを重ねて表現した。実験的なマチエールはいかにも九州派らしいが、その過激なイメージは薄く、静かで内向的な印象が強い。 70年代から約15年にわたって「筑後川シリーズ」を続けた。ある日、太陽が陰った瞬間に野原が死んだように見えたのがシリーズに取り組むきっかけだった。川を主として描くわけではない。生命力みなぎる草木が、暖色でうねるように表現されていた。ただ、シリーズ後半は色調が一変し、枯れ草が覆う大地を描くようになった。 大作「筑後川三部作(天・地・水)」(1988年)には、抽象化された鳥の姿や川舟が描出される。「ピカソのゲルニカのように、のちの人に伝えておきたい」。尾花は本作制作中に、こう語っている。失われゆく筑後川の風景を表現したかったのかもしれない。 実際、護岸工事などで尾花の見てきた川の風景は様変わりしていた。ほかの作品にある荒々しい枯れ草と同化した鳥の絵や、電信柱らしき人工物などは、自然が失われていくことへの怒りを告発するかのようだ。 晩年に取り組んだ黒や赤を一色で画面全体に塗り重ねる作品群は、さまざまな色を塗っては拭き取ることを繰り返すミニマルアートのようなアプローチで、悠久の自然や無限の時間を感じさせる。このシリーズに続く真っ黒の画面に浮かぶ白い花が描かれる最晩年の油彩画「花に語る」(2010年)には息をのむ。無限に広がる静寂の世界にかすかに息づく繊細な花を、尾花は「声なき声」と呼んだ。それは人間の知覚が及ばない根源的な領域だろう。 100点近い作品からは、生涯にわたって耳をすまし、目をこらし、五感を研ぎ澄まして何とか可視化しようとした画家の気迫が伝わってきた。 (丸田みずほ) ◇「ちくごist 尾花成春」は7月7日まで。一般700円など。月曜休館。