「いい人」と言われる人ほど、実は信頼されていない? “ええカッコしい”が招く意外な落とし穴
「嫌われたくない」という思いが人を「ええカッコしい」にさせる
過去の僕のような自分の偽り方は、どちらかと言うと男性に多いような気がします。周囲からすごいと思われたい人ほど、自分を強く見せる方に擬態能力を使うのですが、見捨てられ不安が強い人だと、擬態能力の使い方が違ってくるんですよ。見捨てられ不安とは、「嫌われたくない」「見放されたくない」という意識が強い人のことです。 こういう人が擬態能力を使うとき、好かれるための嘘をつくことがよくあります。たとえば、相手の好みに合わせて自分もそれが好きだと言ったり、できないことをできると言ってしまったり。一例を出すと、子どもが嫌いなのに好きだと言ったり、おすすめされた映画を観ると言ったのに、結局見なかったりするのが、好かれるための嘘になります。 相手に合わせて自分を偽れば、その人は一時的に感じよく見せることができます。しかし、好かれるための嘘をつけばつくほどその人は信用されなくなり、結果的に誰とも深い関係を築けなくなるんですよね。 実は、これもれっきとした「ええカッコしい」に分類されるんです。正直な人の方が信用されるという当たり前の事実を、好かれるためにええカッコする人たちは分かっていません。
信用は、正直さと守った約束の積み重ねで培われるもの
前述した例を挙げると、「子どもが嫌い」と言ってしまうと、引く人がいるのは紛れもない事実です。 しかし、ものはなんでも言い方なんですよ。「こういうこと言ったら引かれるかもしれないけど、実は子どもがあんまり得意じゃなくて。どうやって接していいか分からないし、何を話せばいいかも分からないんだよね」 このように伝えたら、「そういう人もいるのね」と分かってもらいやすいかと思います。 おすすめされた映画に関しても、観る気がないのに観ると言ったら、その場は取り繕えます。しかし、時間が経ってもその話題が出てこなかったら、観ると約束された人は小さなモヤモヤが残ってしまうんですよ。 それだったら、正直に伝えた方がいいです。「なかなか面白そうな映画だと思うけど、今の私にはちょっと難しいジャンルかも? 絶対観るとは約束できないけど、覚えておくね」このように返してみるといいのではないでしょうか。 もちろん、正直に話しているのに、さらにゴリ押しで自分の好みを押し付けてくる人も中にはいます。ですが、そういう人ばかりではなく、「この人って正直だな」と思ってくれる人はちゃんといるんですよ。 そのためには、必要以上に猫をかぶってええカッコしないことです。信用は、正直さと守った約束の積み重ねで培われるもの。「すごい人間だと思われたい」「嫌われたくない」という気持ちを持つことが悪いのではありません。 その気持ちが強すぎるあまり、自分を偽りすぎることが良くないのです。できるだけ正直に生きてみると、いかに自分を守ろうとして息苦しくしていたのか、それが分かるようになります。 ええカッコしいをやめてみると、その自分を評価してくれる人が周りに集まります。そのとき、自分が自分でいられる素晴らしさを、人はようやく認識できるのではないでしょうか。