TURNSTILE単独公演ルポ 「最高にハッピーな暴動」が生まれた理由
「ハードコア愛ゆえのハードコア刷新」
ハードコアの本質とは何なのかと問われれば、人によっても出自によっても世代によっても答えは様々だろう。しかしどの時代にもその根底にあるのは、メインストリームやマジョリティといった大きな流れに混ざれない人、その大きな流れがシステム化していくことへの疑問符、多数決には委ねられない自分だけの人生の選択肢を受け止めて表明して行く姿勢である。そもそもはオーバーグラウンドやアンダーグランドといった区分けとも別のところにある真っ当な生命表現だし、あなたとキミとお前を「たったひとり」として赦す優しさの音楽・生き方のことだ。 だからこそハードコアは、その音楽や楽しみ方、カルチャーが根づいて型になっていくごとに自己矛盾を抱えてきたと思う。限られた人間、限られた属性の人間のためのものではなく、あくまで一人ひとりを受容する生き方として鳴らされてきたものなのだから。その中にあってTURNSTILEが提示したのは、ハードコアマナーへの敬意を示しながらセオリーを無視するという音楽である。 2ステップが踏めなくてもカウベルだけをガイドにして体を動かせば立派なダンスだ。怪我が怖くてハードコアモッシュに入れなくてもサンバに乗って突進すれば最高のモッシュピットだ。そんな提言がこの音楽の中にはあり、だからこそ「誰でもウェルカム」というハードコアの根源的な精神性を表すにあたってクリティカルなのだ。サポートアクトとしてステージに立ったBLOW YOUR BRAINS OUTのKaiは「2000人規模のハードコア・ショーなんてそうそうない。ハードコアを押し拡げてきたTURNSTILEだからできることだ」と語っていたが、TURNSTILEの「ハードコア愛ゆえのハードコア刷新」は国境を超えた希望そのものだろう。 さらにTURNSTILEは、「現代のストリートがどこにあるのか」という視座も的確である。「No Surprise」では“生で体感しなきゃわからないさ”と歌いつつ、年代もジャンルもSNS/ストリーミングサービス上で横並びになったオンライン上のストリートにも目配せをして、リアルやヴァーチャルといった線引きを音楽の中で取り払っているのだ。音の色彩がサイケデリックかつドリーミーに変貌する楽曲が増加したのも、ロックは、パンクは、ハードコアはフィジカル一発でしか理解できないといった固定観念を破壊するための実験性なのではないかと憶測する。インターネット上のストリートがサブカルチャーではなくメインカルチャーのひとつになった時代性への視点もまた、彼らの音楽のユニークさに寄与していると言っていいだろう。ひとりの部屋にいようがライブハウスにいようが、この音楽で暴発する心は真実だ。そしてそれらを同じ世界に存在するものとして接着するために、TURNSTILEはハードコアの中にあるダンスミュージック性を増強して提示したのだ。