バロンドールは「世界最高のサッカー選手」、今年は誰に? 混同されやすい二つの年間最優秀選手賞、その歴史をひもといてみた
▽FIFAと併存から統合、そして提携解消 2007年に対象を全世界に広げたことで、フランス・フットボール誌とFIFAが主催する二つの「世界最優秀選手賞」が併存することになった。前者が記者投票、後者が代表チームの監督と主将の投票で決まるという違いはあったものの、05~09年は5年連続で受賞者が同じだったこともあり10年から両賞が統合して「FIFAバロンドール」が誕生した。これによりFIFAが01年から設けていた女子の最優秀選手にもバロンドール(黄金のボール)が授与されることになり、11年に澤穂希が日本人で初めて受賞して大きな話題となった。 世界中の代表チームの監督、主将、記者の投票で選ぶ大規模なイベントとして6年間続いたが、16年に提携関係を解消して再び「世界一の選手」の称号が二つ並び立つ状況に戻った。FIFAは「ザ・ベスト」という呼称で再出発し、バロンドールは従来の形式に。ラドネッジ氏は「フランス・フットボール誌は自分たちのつくりあげた賞が、FIFAという巨大組織に吸い込まれていくことを恐れた」と読み解く。そして、11年に欧州連盟(UEFA)が昔のバロンドールを再現する狙いで、従来とは形式を変えた欧州最優秀選手賞を創設していたことも踏まえ、「バロンドールがさまざまな理由で元の形に戻ることができず、本来の姿を失ってしまったことは個人的に残念に思う」と続けた。
それでも乱立する個人賞の中でバロンドールが唯一無二の存在とされる理由は何か―。今春までフランス・フットボール誌の編集長を務めたパスカル・フェレ氏(55)は、以前「それは私ではなく、選手に聞けば分かるだろう。傲慢と思われたくないが、選手が欲しいのはバロンドールだ。半世紀以上も常に特別な賞であり続けたのだから」と語っていた。編集長時代にはインターネット上に流れた投票結果の偽情報を巡り、フランス代表FWキリアン・エムバペから真偽を確かめる連絡を受けたこともあったという。このように毎年ファンやメディアだけでなく、選手も注目する一大行事として確固たる地位を築いている。 ▽記者らがノミネート、「人気投票」ではなくプロの視点で バロンドールの式典の準備は夏に候補選手30人をノミネートする作業から始まる。今年はフランス・フットボール誌の記者ら8人、レキップ紙のサッカー担当記者3人を中心にリストアップ。アンバサダーを務める元コートジボワール代表FWのディディエ・ドログバ氏も参加し、昨年の投票で1~5位が最終結果と一致したアイルランドの記者も招いたという。ガルシア編集長は「20人くらいはすんなり決まるが、残りの10人ほどをどうするかで議論が始まる。例えば今年はアルゼンチン代表FWフリアン・アルバレスやフランス代表FWランダル・コロムアニを巡って意見が分かれた」と明かす。一方でアルナスル(サウジアラビア)に移籍したポルトガル代表FWクリスティアノ・ロナルドを20年ぶりに候補から外すことに異論はなかったという。