辻沢杏子、女優人生まだこれから 夫の介護と幸せ
辻沢杏子は1980年、18歳で芸能界入り。翌81年の主演ドラマ「翔んだライバル」の“リンゴちゃん”としてブレークすると、84年にはアイドル歌手デビューし各種新人賞の候補となった。その後、本格的に女優として出演した映画「大奥十八景」ではヌードを披露して話題になり、多忙な日々を送る。87年に恋人が事故死。悲しみを乗り越え、95年には会社社長と結婚したが3年半で離婚、2005年に25歳上の実業家男性と再婚と、公私共に波乱万丈の人生を送ってきた。最近はまたドラマやCMなどでその美貌を見る機会が増えつつあるが、2年ほど前に夫が脳梗塞を患い、介護をしながら女優業を続けているという。
人見知り激しかった少女の頃 中学の教室では…
昨年、故・大杉漣さんと夫婦役で共演した建設会社のCMが昔からのファンを喜ばせた。 「大杉さんが亡くなったと聞き、ショックでした。人間的に素敵な方でしたので、私もあのCMが描く温かい家庭像の中にスッと収まっていけたのだと思います」 自然体で幸せな家庭の空気感を伝える演技力は、長年のキャリアで培ってきたものだ。休止期間も含め約40年近いキャリアは、そのまま波乱万丈の人生史だ。 「何か起きるたび、『なぜこんな思いをしなくちゃいけないの』って思うのだけれど、でも必ず良いこともある。そのとき初めて、『あっ、ここにたどり着くための、試練だったんだ』って思えるんです。だから、いろんなことを経験させてもらえるということは幸せだなって。楽しいことも、苦しいことも、全部含めて」 インタビュアーはたまたま中学生の頃の辻沢を知る一人だが、すらりとした長身に整った顔立ちでクラスの男子に人気はあったものの、性格的にはおとなしく、芸能人のような人前に出ていく仕事をするとは想像もつかなかった。美少女ではあっても目立つ存在ではなく、休み時間も仲の良い友達と教室の片隅でひっそり遊んでいるイメージがあった。 「人見知りも激しかったし、そういう自分が嫌でね。高校生になって、何を血迷ったのか劇団ひまわりのオーディションを受けて。何のとりえもなかったから、高校時代の思い出に何か一つぐらいはやってみてもいいかなと思ったの」