辻沢杏子、女優人生まだこれから 夫の介護と幸せ
ハードだったアイドル時代…胃痙攣でも現場へ
合格して劇団ひまわりに入ると、その後は信じられないほどスムーズに芸能界の階段を上っていった。 「幸か不幸か、とんとん拍子。まな板の鯉じゃないけれど、あっという間に連れて行かれて、盛り上がって、終わっちゃった、そんな感覚」 愛称の“リンゴちゃん”は、デビュー1年でヒロインに抜擢された青春ドラマ「翔んだライバル」(フジテレビ系)で演じた葉月あかねの愛称が、そのまま辻沢自身の愛称として定着したものだ。相手役は柳沢慎吾。雑誌の表紙やグラビアなどでも人気を博し、84年にはシングル「サヨナラMr.…」でアイドル歌手としてもデビューを飾った。 「あの頃は何でもトライしてみたかったの。自分の殻を破りたかったし、何もせずに終わるのが嫌だった。失敗してもいいから、いただいた話は断らず全部やっていました。それに、あの頃はいろんな人と出会えたし。嫌な人ともいっぱい会ったけれど、ほんとに出会いって面白い。十人十色ってよく言ったものですよ」 しかしアイドル歌手のスケジュールは想像を超えて過酷なものだったとか。 「年間で休みは3日だけ。胃痙攣を起こしたときも、『倒れるなら現場で倒れてくれ』と言われて、仕事に連れて行かれて。2年間は一生懸命がんばったんですけど」 当時はソロのアイドル歌手の黄金期。同じ84年には故・岡田有希子さん、荻野目洋子、菊池桃子、長山洋子らそうそうたる面々がデビューしている。辻沢は86年4月に投身自殺を遂げた岡田さんと仲が良かった。亡くなる数日前にも、電話があったという。 「何か相談したそうな感じだったんだけど、私も『大奥十八景』を撮っていた頃で、いっぱいいっぱいで。話を聞いてあげることができていればと……。彼女が18歳で、私が22歳だったから4歳下なんだけど、今まで出会った人の中で一番可愛くて純粋。女の私が見ても、本当に天使のように可愛かった」
恋人の事故死、事務所のトラブル…重なる悲劇
映画「大奥十八景」(鈴木則文監督)は、女優として生きる覚悟を決める大きなきっかけとなった。清純派アイドルのイメージをかなぐり捨てて挑んだヌードは、文字通り裸一貫。 「私の中で一番のトライでした。あの頃の女優は脱いでナンボ、それが出来なきゃ女優じゃないっていう時代だったから。何が何でもチャンスをモノにしたくて、『絶対この役、掴んでやる!』と思ってオーディションを受けたの。でも、実際に撮影が始まると本当に勇気がいりました。あの時代だったから出来たんでしょうね。自分にも他人にも絶対負けたくなかった」 映画は話題になり、女優に本格転身する好機となったが、プライベートで大きな悲しみに襲われてしまう。当時の恋人が突然の事故死。同期の岡田の死や、当時の所属事務所にお金を持ち逃げされるなどショッキングな出来事が重なり、心が折れた。 「人間不信にもなったし、ジェットコースターが急降下するように毎日いろんなことが起きたわ」