「いつもクビになるリスクと戦っていた」元サッカー選手・太田宏介がセカンドキャリアにスムーズに移行できた訳「大変な時期を乗り越えたからこそ」
■セカンドキャリアを見据えたオーストラリアでの2年間 ── 引退後はゆっくりできていますか? 太田さん:基本的に休みがないようにスケジュールを組んでいるので、めちゃくちゃ忙しいです。今はゼルビアのアンバサダーとしての仕事や、所属している吉本興業からいただく仕事など、ほぼ無休です(笑)。5歳と1歳の子どもがいるんですが、最近は起きている子どもに会ってないくらい。土日はだいたいテレビの解説をしたり、地方でイベントに出演することが多いですね。正直、想像以上にサッカー関連の仕事が忙しく、サッカー以外の事業を始める計画もしていたんですが、今はそれをいったんセーブしていている状態です。
── 休みがないようにスケジュールを組んでいるのはなぜでしょう。 太田さん:キャリアを終える数シーズン前にオーストラリアのパース・グローリーというチームでプレーしていたんですが、セカンドキャリアが忙しくなることを見越して、家族との時間を作りたくて決めた移籍でした。その2年間でぼくはもちろん、妻もたくさん充電したと思います。引退後の1、2年はとにかく動き回らないと今後のキャリアにかなり影響する。ただ、がむしゃらに必死に頑張るというよりも、好きなことを全力で楽しんでいるという感覚の方が強いかもしれないですね。
── オーストラリアでのプレー、生活を経て価値感に変化はありましたか。 太田さん:オーストラリアに移籍する前はJリーグの名古屋グランパスでプレーしていました。名古屋ではいい待遇だったし安定していたけれど、残りのキャリアを考えたときに、自分のことを誰も知らないエリアで、家族で新しいチャレンジがしたかった。その経験が妻や子どもを含めて、必ず将来に生きると思ったんです。給料はものすごく減りましたけど、お金は関係なかった。それまで、サッカー選手で成り上がってきていい暮らし、いいものが買えるようになったけれど、それが当たり前じゃないことをぼく自身が思い出すことはもちろん、家族にも価値観を理解してもらいたかった。