中村鶴松『野崎村』お光 たった半刻で大人になるしかなかった少女【今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集より】
毎月歌舞伎座公演で上演される演目のなかから、気になる場面やせりふ、キャラクター、衣装などをピックアップ。客席からは知る事のできないあれこれを、実際に演じる役者に直撃質問! これを読めばきっと生の舞台を体感したくなるはず。 さぁ、めくるめく歌舞伎の世界へようこそ。(「ぴあ」アプリ&WEB「ゆけ!ゆけ!歌舞伎“深ボリ”隊!!」今月の歌舞伎座、あの人に直撃!! 特集より転載) 【全ての写真】中村鶴松さん最新舞台写真ほか のどかな田舎で年老いた父と病に伏せる母と暮らす娘お光。養子の久松とその日急遽祝言を挙げることになり、驚きあわてながらもその日はお光にとって人生で一番うれしい一日になるはずだった──。『新版歌祭文』「野崎村」は義太夫狂言の世話物の名作だ。 <あらすじ> 野崎村の百姓久作の家では、娘のお光と養子の久松の祝言を控えている。お光はうれしくて気もそぞろで祝いの料理のなますを準備している。そこに訪ねてきたのは、久松が奉公している油屋の娘お染。実はお染と久松は恋仲で、久松の後を追ってきたのだった。お光はふたりが心中を覚悟していると悟り、自分は尼となって恋を諦めようとする……。 純粋で朗らかな田舎娘のお光。さっきまではしゃいでいた少女が、なぜ自ら身を引き、惚れた男と恋敵に対して気高い態度をとることができるのか。可愛そうすぎないか、理不尽じゃないか、久松には人の心がないのか、などなど観ていて苦しくなってくるし、観るたびにお光が愛おしくなってくる。 そのお光に初役で挑んでいるのが中村鶴松さん。歌舞伎座で開催されている十八世中村勘三郎十三回忌追善「猿若祭二月大歌舞伎」で序幕の出し物としての挑戦だ。 お光はなぜこんなにも愛おしさを抱かせるのか。開幕間もない2月のある日、お光を勤めてきたばかりの鶴松さんを直撃した。
Q.幸せいっぱいの前半と悲しみをこらえる後半、お光の変化をどう演じる?
── 歌舞伎座で『野崎村』のお光を、それも十八世中村勘三郎さんの追善の月に勤める、と知ったときはどんな気持ちになりましたか。 中村鶴松(以下、鶴松) こわかったです。お光はとにかく大変なお役だと思っていたので、ついに来たかと。踊りの技術も、お客さんを味方につけるパワーも必要で、パッションだけではできない難しい要素がいろいろある役なんです。初役なので(中村)七之助さんにじっくり教わって勤めています。 ── まずはお光のこしらえですが、お納戸色の振袖に桃色の襟、黄八丈の前掛けにつぎはぎの襷、紫繻子と鹿子の帯、髪には薄の簪と、カラフルで田舎娘らしいかわいらしさが満載です。 鶴松 淡い水色の衣裳が思ったより自分に似合っているかもと思いました(笑)。この衣裳ですが、「蹴出し」(裾除け)を裾から出すか出さないか人によってさまざまで。裾から赤が見えているとかわいいんです。七之助さんは出しているけど勘三郎さんは出していなかった。僕の身長を考えると出すとよけいに小さく見えてしまうので、今回は出さないことにしました。鬘のクリ(鬘の縁のライン)も、田舎娘としては本当はもう少し丸くした方がいいんですが、僕がそもそも子供っぽく見えがちなので、今回はスッキリ見えるようにしています。 ── 目元も、愛らしいというよりはどちらかというときりっとした感じですね。 鶴松 目張りや眉は癖で強めに描いてしまう傾向があります。お光のような役どころだともっと田舎娘っぽくお化粧をした方が良いと思うのですが、七之助さんも割と強めにいれているので、やはり尊敬する人を無意識にまねているところがあるかもしれません。それと紅も僕は薄目の色にしています。女方さんはふつう少しだけ黒っぽい三善の4Bの紅を使うことが多いのですが、今回はもっと軽いピンクっぽい赤を使っています。 ── お光、何歳くらいという設定でしょう。 鶴松 16、7歳でしょうか。僕は顔つきが幼く見えるので、今はそれを味方につけてやっています。でもあまり子供子供しすぎてもいけないなとか、前半はそれでもいいのかなとか試行錯誤してますね。 ── お光がいそいそと暖簾を分けて出てきます。 鶴松 もう毎回、世界一ハッピーな気持ちで出ようと思っています。後の台詞にもありますが、お光にとってこの半刻(=1時間)だけが幸せな時だったわけですから。でも七之助さんに「自分がうれしいだけじゃだめだよ。客席のお客さん全員を幸せにするようなオーラをもっとまとって」と言われました。これが難しくて、思っている以上に誇張してやらないとお客さんに伝わらないのだなと。自分ではやっているつもりでもそれが見えないということはよく先輩方からお叱りを受けています。前半のお光をどれだけキャピキャピと可愛くできるかが、後半との落差に影響すると思うのですが、意外に前半は台詞が少ないんですよ。お染が出てくるまでは「こんなことなら今朝あたり、髪を結うておこうもの」のひとつなんです。この一言でこの時のお光のハッピーな気持ちを表さなきゃいけない。 ── 動きも本当に少女っぽくて、ひょこひょこした感じですよね。 鶴松 手を後ろにだらんとさせて、ペンギンみたいに動いていますね。 ── そしてお勝手から俎板と大根を抱えて持ってきます。 鶴松 ふだんから家のことをやっている感じを出したいなと。どこに何があるかもう体で覚えている感じが出せればと思っています。大根は本物なんですよ。毎日小道具さんが準備してくれます。その日によって大根の硬さも葉の付き方も違っていて。大体一本の半分量くらいをトントンとこの場で切るのですが、お染が花道を出てくると邪魔にならないよう途中からは音出さないように切ってます。 ── 自主練もされましたか。 鶴松 もう毎日切って練習しました。実際に指も切っちゃいましたし。勘三郎さんもすごく練習していて、最後にはもう手元を見ないで切ってるんです。ノールックで、振りじゃなくて切っていました。できるなら僕もその域までいきたい。実際に家で毎日料理している人ならそれくらいできそうですし。そんなわけで家で切りまくった大根は全部なますにしてました。酢の物は好きなのでちょうどよかったです(笑)。 ── 切りながら義太夫に間に合わせなければなりません。 鶴松 今日は大根が硬い、切りにくいなと思っていると義太夫に間に合わなくなる。でも合わせようとすると気持ちの間がずれてしまう。まだまだ違和感を感じるところですね。先日『籠釣瓶花街酔醒』の稽古でも(坂東)玉三郎さんが「芝居って全部逆算なんだからね」と。お光は計算してやることが多いと同時に、可愛く見えなきゃいけないので難しいですね。 ── 左手に手鏡、大根を切っていた包丁も左手で持って合わせ鏡にします。このしぐさがまたホントにかわいくて。 鶴松 手鏡を覗いて、「あ、包丁持っちゃってた」と気づくのが実際の感情の間だと思いますが、勘三郎さんはここがすごく速かったんですよ。気持ちの動きの論理よりもかわいらしさを優先しているような感じで。それどころか包丁を投げちゃって、またそこで手(拍手)がくる。お光って正攻法だけでなく、時に変化球も使わないといけない役なんだなと感じています。歌舞伎はリアルと嘘の塩梅を上手く魅せることが大事だと実感するようになりました。