武田百合子の名言「おべんと御飯か、 猫御飯であれば、私は嬉しい。 そこに…」【本と名言365】
これまでになかった手法で新しい価値観を提示してきた各界の偉人たちの名言を日替わりで紹介。その唯一無二の観察眼と瑞々しい筆致で、多くのファンに読み継がれている文章家・武田百合子。食通やグルマンの目線とは一線を画す、「食」の語り口とは。 【フォトギャラリーを見る】 改めて言うまでもないことだが、優れた文章家は必ずや「いい眼」の持ち主でもある。それを体現する一人が武田百合子だろう。夫である小説家・武田泰淳の死後、50代から自身の執筆活動をスタートさせたため、生前に遺した作品はわずか5作。しかし寡作ながら、泰淳との富士山麓の別荘暮らしを綴った『富士日記』や、驚くほどのコミュ力と洞察力とが随所に散りばめられた旅行記『犬が星見た -ロシア旅行』など、ひとつひとつが唯一無二の名品なのだ。 ただ見ているのではない、瞬時にものの真意を見通す揺るぎない眼力で、美辞麗句などは用いず、天真爛漫でまっすぐな語り口。そこには温かさとユーモアが息づき、時にドキリとするようなものごとの“陰(かげ)”の部分もさらっと描写する。そうした比類なき才能に埴谷雄高は「天衣無縫の文章家」と最大限の賛辞を送っている。 本著『ことばの食卓』は、様々な食にまつわる話を集めた随筆集。たとえば「お弁当」という一篇には、小学生時代のお弁当箱に関する記憶が語られている。 おべんと御飯か、 猫御飯であれば、私は嬉しい。 そこに鱈子、またはコロッケが ついていたりすれば、 ああ嬉しい、と私は思う。 “おべんと御飯”とは煎り卵と揉み海苔の混ぜご飯を指す造語で、蓋を開けた時に、この“おべんと御飯”か“猫御飯”(おかかと海苔をご飯の間に敷いたもの)であればその日はご馳走である。また、梅干しのまわりでは薄牡丹色に、沢庵のまわりでは黄色く染まったご飯粒の一粒一粒もご馳走だ。虚弱児童で食が細かった小学生の百合子さんは、きっと一粒一粒、しげしげと観察しながら味わったことだろう。 そして「夏の終り」という一篇も、彼女らしい絶妙にアイロニカルな眼力が炸裂する名作。娘(武田花)とバーゲンセールに出かけた帰り、大いに期待して入ったオムレツ専門店。一口二口食べ進むうち、母娘は次第に寡黙になっていく。 「そっちのは、どんな味?」 「うん、普通の味」 「こういう味のことを、まずい味と言うんじゃないかなあ」 周りで楽しげに会話を交わす他の客たちも、やってきたオムレツを頬張ると、みな一様に元気を失っていく。訪れる客をもれなく黙らせるほど具体的な「まずい味」を作り出す店にも驚くが、「なぜ、どうまずいのか」について特に言及することなく情景を淡々と描写していく筆さばきがみごとで、引き込まれずにはいられないのだ。 「食」と言う共通テーマをもとに、描かれるのは周りの人間や世の中のありよう。「あとがき」で種村季弘が「コドモの“金無垢”の言語感覚」と称したように、屈託なく忖度もなく、手垢のついていない無垢の文章。だから読んでいてハッとし、クスッとさせられ、胸の奥がザワザワするのだ。
たけだ・ゆりこ
1925年、神奈川県横浜市生まれ。小説家・武田泰淳の妻。泰淳の晩年は百合子が原稿の口述筆記を務めた。泰淳の死後、百合子自身も執筆活動を開始し、『富士日記』(1977年)で田村俊子賞を受賞。武田と友人・竹内好とのロシアへの旅に同行した旅行記『犬が星見た -ロシア旅行』(1979年)で読売文学賞受賞。一人娘で写真家の武田花は旅のよき相棒でもあり、作中にたびたび登場した。作品はほかに『遊覧日記』『日々雑記』など。1993年没。
photo_Yuki Sonoyama text_Yoko Fujimori illustration_Yoshifumi...