上高地の登山シーズン開幕 育ちつつある新しい登山文化
「重装備の隊列」は少数派に
以前は重装備の山行のイメージがあった北アルプス登山も、「山ガール」の登場や山小屋の設備・サービスの充実で夏山登山が軽快なイメージに変わりつつあります。基本の機能を持たせながらウエアのデザインや色に「街歩き」の華やかさを表現するなど、仕掛ける側は「重い、つらい、暑い」の三重苦イメージからの脱却が狙いのようです。 数十年前まではどこにでもいた大学山岳部の「重登山靴に数十キロのザック」の隊列も少数派になり、涸沢に咲くテント村にも大学山岳部の名前は少なくなりました。新しい登山文化が育っているようです。 また、一時は韓国や欧州など各国から訪れる外国人が目立ち、山小屋によっては国際色豊かに。高山がない国から訪れる登山客の中には標高3000メートル級の北アルプスなどで基本訓練をした上で標高5000メートル前後のヒマラヤトレッキングに挑戦する人もいるようです。
英宣教師がアルプスの魅力紹介
上高地は井上靖の小説「氷壁」の舞台にもなった梓川沿いの徳沢などがかつては牛の放牧地だったとされています。明治時代以降に何度か日本を訪れていたイギリス人宣教師のウォルター・ウェストンが松本の島々から上高地に抜けるために徳本(とくごう)峠を越えるなど日本アルプス各地をめぐり、その魅力を紹介。これらをきっかけにそれまでは農林業の利用地とみなされていた山岳をスポーツとしての登山やレジャーの地として国内で再認識させることになったともされています。 上高地で猟師をし、山の案内人としてウエストンから高い評価を受けた上條嘉門次も上高地の歴史をつくった1人として記憶されています。現在、4代目が上高地に「嘉門次小屋」を引き継いでいます。
6月の第1日曜日にはウェストンの功績を記念して上高地に設けられたウェストンのレリーフの前で「ウェストン祭」が行われ、記念行事のほか合唱が披露されます。この前日にはウェストンが歩いたルートをたどって松本の島々から徳本峠を越えて上高地に下る記念山行も行われ、地元の児童や一般人ら数百人が参加することもあります。10数年前には、戦後始まったウエストン祭に参加していた女性が90歳近い高齢で徳本峠を越えたこともありました。 それぞれの山小屋には印象深い経営者がいます。登山客から数10年にわたり慕われている「親分」と呼ばれる人や山小屋の連携に心を砕き続けてきた人、2代目として合理的な判断で新しい山小屋づくりに挑戦する人……と多彩です。北アルプスは山岳の魅力に加えて山岳史を彩ってきた人々の痕跡がさらに大きな魅力となって人々の心を引き付けているようです。 (高越良一/ライター)