なぜ昔の酢飯は甘くなかったのか…老舗「食酢醸造」会社代表が明かす、寿司屋に大打撃を与えた「事件」と、世界が認めた「赤酢復活」の背景
赤酢ブームの到来
そして甘味もうま味も申し分のない赤酢が誕生した。すると今度は寿司業界で大きな変化が起きた。香港の高級寿司店が赤酢を使った酢飯で寿司を握り、これが大きな反響を呼んだのだ。赤酢と塩だけで、砂糖を一切入れない酢飯を使う寿司店も一気に増えた。 「当時、弊社の他にも赤酢を生産しているメーカーはありました。寿司業界で赤酢ブームが起きると、大きなメーカーさんから順に注文が殺到したのです。そして購入できなかったお寿司屋さんが弊社に来てくださいました。今では原料の酒粕から奪い合っているような状況で、残念ですが新規のお寿司屋さんには赤酢をお売りできないこともあります」(同・私市氏) 江戸前寿司というだけあり、やはり寿司業界の中心は東京だ。私市氏の作る赤酢に向く高級寿司店は老舗が多く、すでに他のメーカーと長年の付き合いがある。なかなか新規参入は難しい。 「そこで私は大阪のお寿司屋さんに注力することにしました。東京の老舗店は伝統の味を守っているのに対し、大阪の江戸前寿司は若い店主さんが多く、新しいことにも貪欲です。私どもの酢を評価してくださると、すぐに切り替えてくださいます。私自身も伝統的な江戸前寿司の味を体に覚えさせようと、大阪にある星付きのお寿司屋さんを訪れました。そこで赤酢だけを使った、砂糖の全くない酢飯で握られた寿司を味わいました。素晴らしい味わいでしたが、今の熱心なお寿司屋さんは伝統を守るだけでなく進化も遂げています。魯山人でも味わえなかった、新しい江戸前寿司になっているのではないでしょうか」(同・私市氏)
3種類の酢飯
熱心な寿司屋では、複数の酢飯を用意しているところもあるという。例えば大阪の高級寿司店は3種類のシャリをネタの特性で使い分けている。 「まずは伝統的な赤酢主体の酢飯です。大トロ、ブリ、イクラなど、濃厚な味のネタに負けない味を追求しています。次が“ロゼ”という赤酢と米酢をブレンドしたものです。こちらはアジやスミイカなど、『中トロほどは甘味やうま味が強くないネタ』にぴったりです。そして最後は“白”という米酢を主体にした酢飯です。こちらはコハダ、ヒラメ、鯛など、淡泊なネタとの相性が抜群になります」(同・私市氏) 私市醸造だけでなく、様々なメーカーが酒粕100パーセントの酢を醸造し、インターネットで通販を行っている。 自分の家でも「砂糖を一切使っていない酢飯」が簡単に作れるわけだが、果たして美味しいのかと不安な人も多いだろう。また自宅でちらし寿司や手巻き寿司を作る場合、最高級店のようなネタは手に入らないと言っていい。 「そういう場合はお手数ですが、赤酢を使って2種類の酢飯を作ることをお勧めします。一つ目はインターネットに紹介されているレシピ通り、砂糖を積極的に使ったものです。二つ目は、そのレシピに書いてある砂糖の量を半分にしたものです。レシピ通りが美味しければ砂糖の量を減らす必要はなく、半分にしたものがピンと来た場合は、必要に応じて砂糖を増やしたり減らしたり微調整してください。味は結局、個人差なので、自分にとって、もしくは家族にとって最適の量を見つけてくださると嬉しいです」(同・私市氏) 第1回【稀代の美食家「北大路魯山人」が食べていた“酢飯”は砂糖ゼロだった…江戸前寿司の元祖「華屋与兵衛」が“赤酢”にこだわった理由】では、広辞苑の定義が物語る酢飯の重要性、砂糖を積極的に使う現代の酢飯レシピ、赤酢と大手メーカーの関係などを紹介している──。 デイリー新潮編集部
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