「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(8)~キリスト紀年を表す造語『西暦』~ キリシタン禁制下の江戸時代におけるキリスト紀年の受容
平成に代わる新元号「令和」の時代が5月1日からスタートしました。元号は、日本だけでしか使われていない時代区分ではありますが、新聞やテレビなどで平成を振り返るさまざまな企画が行われるなど、一つの大きな区切りと捉える人が多かったようです。その一方で、元号に対して否定的で「西暦に統一したほうがいい」という意見も少なからず聞こえてきました。 そもそも、人はなぜ年を数えるのでしょう。元号という年の数え方に注目が集まっている今だからこそ、人がどのような方法で年を数えてきたのか、それにはどのような意味があるのかについて考えてみるのはいかがでしょうか。 長年、「歴史における時間」について考察し、研究を進めてきた佐藤正幸・山梨大学名誉教授(歴史理論)による「年を数える」ことをテーマとした連載「ホモ・ヒストリクスは年を数える」では、「年を数える」という人間特有の知的行為について、新しい見方を提示していきます。 第3シリーズ(7~11回)は「キリスト紀年を表す造語『西暦』」がテーマです。日本人はどのように「西暦」という言葉をつくりだしたのか。その背景に何があったのか。5日連続解説の2回目です。
キリスト紀年を表すために創作された新語「西暦」
「今年は西暦2019年である」 現在の日本では、この紀年表記が、広く使用されている。これは正確にはキリスト紀年2019年(Anno Domini 2019=主キリストの2019年)のことである。が、日本ではこれを西暦2019年と表記する。この紀年表記からは、宗教紀年の色彩が完全に取り除かれている。 奇妙だと感じるのは、西紀(西洋紀元)ではなく、西暦(西洋暦)という表記が使用されている点だ。これは、紀年法と暦法を混同した表現としか考えられない。というのも、紀年法とは「一年一年をどのように表記するか」というものであり、暦法とは「どのように月日を表記するか」というものであるからだ。 今回は、このキリスト紀年そのものがいつ頃日本に到来し、その表記の仕方がどのように変わってきたのかをまず概観したい。