『オシムチルドレン』につながった育成年代での指導 前田秀樹が痛感した「日本人選手の守備の意識の低さ」
「オシムチルドレン」につながった育成年代での指導
私の指導者生活のスタートはジェフユナイテッド市原(現千葉)のアカデミーでした。4年間にわたってユースとジュニアユースの指導を行い、山口智をはじめ、日本代表として長く活躍した阿部勇樹、シドニー五輪日本代表で活躍した酒井友之や村井慎二、山岸智ら多くの選手をトップチームに昇格させました。 私がユースの時に阿部はジュニアユースに所属していました。阿部は中学生ながらも、ユースの選手に負けない能力を持っていたので、ユースの方に呼んで、よく一緒にボールを蹴っていました。阿部も山口も、キックがうまくてパスの精度が高いことが特長でした。そこは最も熱心に教えたことでした。伸び盛りの時期に何を教えるかが大事なんです。私はユース年代を指導するにあたって、キックの精度についてこだわって指導しました。それがトップに昇格した後、彼らの武器になりました。 また、当時は日本のサッカー変革期で、これから世界で通用する選手になるためにはユーティリティーな能力を求められていました。要するに3つぐらいのポジションをこなせないといけないという方針があったのです。それが世界のスタンダードになっており、前述の選手たちにはボランチ、センターバック、サイドバックができるような選手になるように求めました。守備の選手は守備だけやればいいのではなく、攻撃もやらなければいけない。ボランチはさらに精度の高いパスを出せないといけない。それができる選手はどの監督のもとでも起用されるようになるということで、ユーティリティープレーヤーに必要な能力を身につけさせるための指導に力を入れました。それができたのも、私自身がそういう選手だったからでしょう。現役時代、GK以外のすべてのポジションでプレーした経験を活かして、彼らに指導しました。 これまで多くの選手を指導してきましたが、大きく成長する選手に共通しているのが、サッカーに対して情熱や熱心さを持っていること。そして、素直な性格であること。ジェフ時代に指導した選手はみんな、すごく素直で、教えたことをどんどん吸収していきました。手本を見せると、どんどん学んでいくんですよ。こちらも教えがいがありました。また、彼らは本当にチームのことを考えて行動することができていました。だから、プロになってからもリーダー的な存在になっていったんだと思います。山口は現在J1湘南の監督ですから、それだけの資質があったんだと思います。 それと、当時のJリーグクラブのユースはテクニックを重視して、フィジカルを鍛えているチームが少なかった。でも、私はガンガン鍛えさせました。それがプロになってから活きたのではないでしょうか。私自身、フィジカルに関しての知識はありますが、指導はできないので、日本サッカーにおけるフィジカルコーチの第一人者とも言える池田誠剛を連れてきて、ユース年代からしっかりフィジカルトレーニングを行うようにしました。当時、ユースチームでフィジカル専門のコーチを置いていたチームはほとんどなかったと思います。でも、私は世界で通用する選手を育てるためにはフィジカルを鍛えないといけないと考えていました。プロになってからでは遅いんです。ユースの時から体づくりをしないといけないと感じていたので、徹底的にやらせました。それが、その後の千葉のベースを築いたと思います。 私がアカデミー時代に育てた選手たちが後にイビチャ・オシム監督の指揮するチームの主軸となり、「オシムチルドレン」と呼ばれるようになりました。その時はすでにジェフを離れてはいましたが、嬉しかったですね。前述の通り、私が指導して成長させた選手は共通点があります。「攻守両面の能力が高い」「複数のポジションでプレーできる」「キックを正確に蹴れる」といったことです。私の考えとオシム監督の考えが共通していたからこそ、オシム監督は彼らを重宝したんだと思います。彼らの活躍を見て、自分の指導理念が正当化されたような気がしました。 (本記事は竹書房刊の書籍『東京国際大学式 「勝利」と「幸福」を求めるチーム強化論』より一部転載) <了>