日本代表、歴代ストライカーの系譜(5)世界で玉砕…! 1得点も決められなかったFW陣は?
日本代表は初出場から途切れることなくワールドカップ本大会に出場している。その間、中山雅史や高原直泰、大迫勇也など多くのストライカーが日本代表でプレーしてきた。今回は、1998年のフランス大会からロシア大会まで、ワールドカップ当時のセンターフォワードのレギュラーを紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
ブラジルW杯
監督:アルベルト・ザッケローニ 戦績:グループステージ敗退 背番号:大迫勇也(1860ミュンヘン) 生年月日:1990年5月18日(24歳) 個人成績:2試合出場/0得点0アシスト アルベルト・ザッケローニ監督は本田圭佑を本職のトップ下に置き、1トップには前田遼一を起用した。2009年、10年と2年連続でJリーグのベストイレブンに選出された前田は、アジアカップ全6試合に先発。サウジアラビア戦では2得点、準決勝の韓国戦では貴重な同点ゴールを決める活躍を見せ、日本代表の優勝に貢献した。 アジアチャンピオンとして臨んだ13年のコンフェデレーションズカップで日本代表は惨敗した。すると、直後に行われた東アジアカップで代表デビューとなった2人のFWが1トップ候補に急浮上する。柿谷曜一朗は3得点で得点王に輝き、オーストラリア戦に先発した大迫勇也も2ゴールを挙げてアピールに成功した。 前田はコンフェデレーションズカップ以降、再び代表でプレーすることはなかった。13年のJリーグ得点王に輝いた大久保嘉人が本大会のメンバーに滑り込み、1トップ候補は柿谷、大迫、大久保の3人という陣容でブラジルに乗り込んでいる。 大迫が起用された初戦のコートジボワールは本田のゴールで先制に成功したが、立て続けに失点して逆転を許した。逆転された直後に大久保が投入され、終盤には柿谷が出場したが、1-2で日本代表は初戦を落としている。 第2戦でも大迫が1トップを務め、右サイドには大久保が起用された。前半にギリシャが退場で1人少なくなったが、日本代表はゴールを奪うことができずに引き分け。コロンビア戦で1トップに起用された大久保もゴールを決めることができず、1-4で敗れた。1トップで起用された3人は無得点に終わり、日本代表は1勝もできずに大会を去っている。
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