加藤雅也「父にモデルになると伝えたとき、反対されると思いきや…思わぬ反応に自分を恥じた。パリコレに出て俳優の道を決意」
『メンズノンノ』創刊号のファッションモデルを務め、後に俳優として単身渡米し、国内外問わず活躍する俳優・加藤雅也さん。2024年3月には、神津恭介シリーズの舞台『わが一高時代の犯罪』に出演します。60歳を迎えられた今も、舞台から映像作品まで幅広い活動を続ける加藤さんに、これまでの道のりや、今後の活動への意気込みについて伺いました。(構成◎上田恵子 写真撮影◎本社 奥西義和) 【写真】20代前半、ランウェイを歩く加藤さん * * * * * * * ◆人生を変えるきっかけは雑誌『シティロード』 取材の際に、「加藤さんの転機はいつでしたか?」と聞かれることがあります。でも、人生で起こることはすべて繋がっているため、「このときです」とピンポイントで絞るのが難しいんですね。どれも「この出会いがなかったら、次のあの出会いもなかったな」ということばかりなので。 そんななか、しいて人生を変えるきっかけとなった出来事を挙げるとしたら、大学時代のある出会いでしょうか。 僕はもともと奈良県の出身で、高校卒業後に横浜国立大学に進学。教育学部で教員免許を取得しながら、バイオメカニクスの勉強をしていました。大学2年の夏休み、映画でも観ようと近所の本屋にいつも読んでいる情報誌の『ぴあ』を買いに行ったところ、残念ながら売り切れで。そこで僕はライバル誌の『シティロード』を買って帰宅したのですが、これが後に僕の運命を大きく変えることになるのです。 『シティロード』には読者投稿欄があり、趣味のメンバー募集が掲載されていました。そこに出ていた映画サークルの活動場所が自宅から近かったのでなんとなく行ってみたところ、無名塾を目指していたという俳優志望の代表者が勉強会などをやっていて。映画好きだった僕は、2~3回ですがそのサークルに顔を出していたのです。
◆「加藤くん、モデルやってみない?」 大学3年になったある日、大学の掲示板の前を通りかかると、僕宛の貼り紙が目に留まりました。見ると「教育学部で陸上部に所属している加藤昌也(本名)さん、連絡をください。倉谷宣緒(よしお)」と書いてある。倉谷さんというのは件の映画サークルの代表者です。電話を持っていなかった僕と連絡を取る手段がなかったため、大学の掲示板を利用したようでした。僕も普段は掲示板なんか見ないで通り過ぎるのに、この日はたまたま気づいたのです。 「何の用だろう?」と不思議に思いつつ、そこに書いてあった番号に電話をしてみると「俺、モデル事務所のマネージャーに転職したんだよ。加藤くん、モデルやってみない?」と言われて。たぶん新人マネージャーとしてのノルマがあって、誰かいないかなと考えた時に映画サークルで会った僕を思い出したのでしょう。 それを機に僕はモデル事務所に籍を置くことになるのですが、いま振り返ってもあれは実に不思議な縁でした。あの日、本屋に『ぴあ』が売っていたら、そして掲示板を見なかったら、僕はこの世界には入っていなかったので。人生って、人の運命って、本当に面白いですね。 ちなみに倉谷さんは、後に俳優の大沢たかおさんをスカウトした方で、現在は制作会社の代表。僕とは今も親交があります。
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