セリエA6回優勝、欧州チャンピオン3回「野球強国」の史上最高のスポーツ選手【「世界最弱」代表チームがつかんだ20年ぶり2度目の勝利】(3)
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、小さな国の大きな勝利。 ■【画像】結婚発表の町田浩樹「映画のワンシーンのよう」キスシーンと「べっぴん過ぎて反則」美人嫁
■最古の共和国「サンマリノ」の起源
サンマリノは、イタリア半島の東海岸、アドリア海に面したリミニから南西に15キロほど入ったところにある内陸国である。アペニン山脈の山麓に位置する。なぜこんなところに「小さな世界最古の共和国」ができたのだろうか。 伝説では、現在のクロアチアにあるアルバ島(現在のラブ島)からアドリア海の対岸にあるイタリア半島のリミニに出稼ぎにきた「マリヌス」という石工が建国の主だと言われる。彼は敬虔なキリスト教徒だったが、当時のローマ帝国ではキリスト教徒は迫害されており、リミニの信者たちは重労働に苦しんでいた。マリヌスはこうした人々を助け、慰めて、尊敬を集めた。 ローマ帝国がキリスト教を公認したのが313年。晩年のマリヌスはリミニの南西にある「ティターノ」という山にこもり、山頂に修道院を築いて神と向き合う生活に入った。その後、彼は「聖人」に列せられ、イタリア語風に「サンマリノ」と呼ばれるようになった。 「マリヌス」はギリシャ語で「海の」という意味であり、イタリア語では「マリノ」となる。山だらけで海などない国が「サンマリノ」となったのは、そうした歴史によるものだった。やがてティターノ山の所有者は、修道院を中心とする約60平方キロの土地を修道院に寄進、その地域が現在のサンマリノ共和国となったのである。
■プロの「サッカークラブ」はないが…
建国以来、この国には「国王」がいたことはなく、現在では、選挙で選ばれた60人の「代表議会(国会)」と、その議員の互選で半年ごとに2人ずつ選出される「執政」が政府を運営する。まるで帝政ローマに先立つ「共和制ローマ(紀元前509年~紀元前27年)」のような政治形態が現代の世界で生きているのは、おとぎ話のようだ。 国土は標高749メートルのティターノ山を中心にした山地と丘陵地で覆われている。「甘食パン」のような地形だが、アドリア海に注ぐアウサ川が流れる北東部は比較的低い丘陵地になっている。国土は9つの地区に分かれているが、サンマリノでは「地区」を「城」を意味する「カステッロ」という言葉で表す。地区ごとに「砦」があったためだ。 「首都」であるサンマリノ地区は「市」にもなっているが、その中心が驚くことにティターノ山の山頂なのである。ティターノ山の3つの頂に立つ塔は、この共和国のシンボルとなっている。そして、麓の町からそこに向かうロープウェーやエレベーターは、観光客だけでなく、国民にとっても貴重な「足」だ。 ナショナル・スタジアムである「サンマリノ・スタジアム」は、北東部の比較的平らなセラヴァッレ地区にある。1969年に建設された陸上競技場型のスタジアムで、収容は6664人、メインとバックだけに観客席があり、両ゴール裏にはない。1985年に国際オリンピック委員会(IOC)の資金提供の下で行われた「欧州小国競技会」を開催したときに「オリンピコ」と改称されたが、2014年9月に「サンマリノ・スタジアム」に戻された。 この地区はサンマリノの「ナショナル・スポーツセンター」と言っていい。スタジアムの西隣には、大小の体育館とともに50メートルプールを備える3000人収容の「マルチイベント・スポーツドーム」があり、さらにその西には野球場まである。 意外に思うかもしれないが、サンマリノにはプロのサッカークラブはないが、プロの野球クラブ「サンマリノ・ベースボールクラブ(T&Aサンマリノ)」があり、イタリアのトップリーグ(セリエA)の強豪として活躍しているのである。1991年に始まったセリエAで6回優勝、欧州チャンピオンにも3回輝いている。イタリアはオランダと並ぶ欧州きっての「野球強国」で、イタリアのトップクラブはすなわち欧州のトップクラブということになるのである。