《苦節30年→韓国で大ブレイク》歌心りえさん 声帯を痛め喉が血だらけに…“どん底”を救った家族の言葉
「とても古い曲なのに、韓国のコンサートで披露するとすごく反響があって。CMに起用されたからなのか、たくさんの人が知っていてくださるのがうれしいです」 その後はソロ活動をする一方で、ピアノとチェロ、ボーカルによるクラシカルポップスユニット「September」を2004年に結成した。 「Septemberでは、当時、韓国ドラマにインスピレーションを得て、『冬のソナタ』『秋の童話』『夏の香り』や『私の頭の中の消しゴム』などの挿入歌の日本語バージョンをリリースしています。 有名作品を担当したことで、『韓国進出できるんじゃない!?』と期待していたんですが……オファーの連絡はゼロでした(笑)」 2008年には、音楽仲間であった夫と結婚。ライブハウスを併設したレストランを経営しており、歌心さんも現在まで、店のステージで歌いながら手伝いをしている。 「実はこのころまでは『Rie』という芸名で活動していました。しかしもっと印象に残る名前にしたいと思い、『歌は心』『心を伝える歌』をモットーに“歌心りえ”という名前に変えました」 「歌心りえ」として活動するようになってからも、ボイストレーナー、バックコーラス、イベント出演など歌に関わる仕事を続けてきたという。しかし、知名度が劇的にアップすることはなかった。 「2014年、41歳のときに娘を出産し、2年ほどは歌手としての活動を休んでいました。でも、お店で娘を抱っこしながら歌ったり、寝ている横で歌ったり……。そのときの音源を聴くと、娘の泣き声が入っています(笑)。 とにかく、歌うこと自体は続けていましたね。歌をやめようと思ったことはありませんでした」 しかし、2019年、歌と向き合う歌心さんに壁が立ちはだかるーー。 「声帯を痛めて声を失ったんです。そのときは数週間で治ったのですが、2年前に再び声帯を壊してしまいました。このときは、声が出ないばかりか喉が血だらけになるほどで。筆談しかできませんでした」 治療も激痛でとてもつらかった、とこぼす歌心さん。 「私が歌えない間に、お店でプロのミュージシャンたちが演奏するのを見て、『こんなにうまい人たちがいるのに、私なんて必要ないんじゃないか……』と初めて弱気になりました。“引退”の2文字も頭をよぎったのです」 どん底の状態を救ったのは、10歳の長女と夫だった。 「『お母さんの歌が大好きなの。その歌をまたみんなに届けて』と娘が励ましてくれたんです。また、私の落ち込みをしばらく見守っていた夫も『あなたには歌しかないでしょ』とそっと背中を押してくれました。ものすごくありがたかったですね」