バレー迫田さおり引退 大林素子さん「リオのバックアタック『希望の星』」
メダルを決めた得点は迫田のアタック
迫田はまた、五輪出場を目指す日本代表の危機を何度も救った「救世主」でもあった。2012年5月のロンドン五輪出場を懸けた世界最終予選兼アジア予選のキューバ戦、この試合を落とすと五輪出場が危うくなるという大一番で、迫田が躍動した。 第1セットを先取しながら、劣勢になり流れがキューバに傾きかけた第2セット途中からコートイン。フルセットの激戦になったが、第5セットも迫田のバックアタックがさく裂し、大事な一戦を物にした。 その試合、迫田は木村沙織をしのぐ得点を挙げた。そうしてわずかの差で出場権を得た全日本女子はロンドン五輪で28年ぶりのメダル(銅)を獲得。そのメダルを決めた韓国戦でも迫田の活躍が光った。メダルを決めた得点は迫田のアタックだった。 さらに、記憶に新しいのはリオ五輪最終予選兼アジア予選。その大一番のタイ戦で、最終セット6-12から大逆転という奇跡を起こせたのは迫田の活躍があってこそ。チームトップの24得点を挙げ、日本を五輪へと導いた。「迫田がチームを救ってくれた」と眞鍋監督(当時)もそう話した。
ディグやつなぎにも果敢に取り組みサーブも強化
ロンドン五輪後には右肩を痛め、離脱することもあった。リハビリを続けながら痛みの出ない打ち方にできるようフォームの改善にも取り組んだ。それによりバレースタイルに変化も生まれた。 ディフェンス部分を課題に感じたことから強化のためにディグやつなぎにも果敢に取り組んだ。サーブも強化した。リオ五輪予選や本戦でも迫田のサーブはチームの武器になった。ポイントゲッターとしてもサーバーとしてもリザーブとしてもチームに欠かせない存在だった。難しい途中出場でも力を発揮した。 ニックネームは「リオ」。そのリオ五輪ではメダルを取ることはできなかったが、「たくさんの人の思いが詰まったボールだから、しっかり得点につなげたい」。その思いで迫田はバックアタックを打ち続けた。献身的な姿に心をうたれた人も多かっただろう。 東レとしては、木村沙織とともにエースとしてリーグ3連覇に貢献した。最後のリーグとなった「V・プレミアリーグ2016/17」は6位に終わったが、それでも迫田は「ファイナル3に進めなかったのは残念でしたけど、素敵なシーズンを戦えてよかった。バレーを続けてきてよかったです」と笑顔で語った。
「『記録に残る選手』としても語り続けられる存在」
「ロンドン五輪で銅メダルを決めた最後のスパイク映像は記録としてずっと一生残ります。『記憶に残る選手に』とよく言いますが、『記録に残る選手』としても語り続けられる存在」と大林さん。迫田の笑顔も、そして華麗なバックアタックもその貢献も、ずっと語り続けられていくことだろう。 「バレーを辞めて何年か経ったとき、自分のことを振り返って『私、頑張った』って言えるときがきっと来る。リオが落ち着いてそんなふうに言えるときを楽しみにしています。そうしたらまた話したいですね。本当に素晴らしい選手でした。今まで本当にお疲れ様でした」 大林さんはそう締めくくった。