カリブの島国の歴史と文化を知る絶好のチャンス!キューバの女性映画監督の2作品を上映
音楽、ダンス、野球など様々な分野で才能ある人々を生み出しているカリブ海の魅惑の島国キューバ。その歴史と文化を知る上でとても貴重な映画2作品が、国立映画アーカイブ(東京都中央区)で開催中の「蘇ったフィルムたち チネマ・リトロバート映画祭」で1月27日と2月2日に上映される。上映されるのはキューバ初の女性映画監督サラ・ゴメス(1943年~74年)の初期作品「サンティアゴへ行こう」と遺作となった長編映画「ある方法で」で、両日ともに2作品が続けて上映される。 サラ・ゴメス監督の作品はこれまで東京国際女性映画祭や山形国際ドキュメンタリー映画祭などで日本に紹介されているが、1月27日の上映後には、山形国際ドキュメンタリー映画祭での上映を担当した濱治佳さんと国立映画アーカイブの岡田秀則主任研究員による対談が予定されている。 ジャーナリストとして働いたのちにキューバ国立映画芸術産業庁(ICAIC)に入ったサラ・ゴメスは、アニエス・ヴァルダ監督作品「キューバのみなさん、こんにちは」(1963年)の助監督を務めた後に、キューバ初の女性監督となった。 初期作品の「サンティアゴへ行こう」(16分、白黒、1964年)は、キューバ南東部サンティアゴ・デ・クーバの人々の生活風景から、継承される文化と歴史的背景を浮かび上がらせる。ICAICが所蔵する現存唯一の35ミリフィルムをもとにカナダのクイーンズ大学がデジタル修復を行った。
「ある方法で」(74分、白黒、1974年)は、1959年のキューバ革命をめぐり、異なる思想を持つ男女の物語を通して、旧体制からの脱却と人種、階級差別からの解放を訴える。そこには、アフリカ系であるゴメスの視点がみてとれる。サラ・ゴメスにとって初の長編だったが、遺作ともなった。 ドキュメンタリーとフィクションを混合させた野心作で、ゴメスは編集中の74年に31歳で急死し、その後、脚本に協力したトマス・グティエレス・アレアとフリオ・ガルシア・エスピノーサによって完成され、キューバ国内で1977年に公開された。 現代のキューバに滞在し、同国の社会を観察すると、多くのアフリカ系の人々が、社会の指導的立場についていることに気づく。またアフリカ系と白人系のカップルも多い。野球、バレーボールなどのスポーツや音楽、ダンスなどで活躍している人々をたずねると、人種の違いにかかわらず、皆が才能を磨き合って、開花させているのがわかる。人口約1100万人のカリブの島々から、オリンピックや音楽、ダンスの世界で数多くのスターが育っている。 そんな現在のキューバ社会がどのように形成されてきたかを知る上で、今回上映されるサラ・ゴメスの2作品が大変参考になることはまちがいないだろう。