「先生、石川が『バレーはもういいかな』って言っているけど…」星城高時代の監督・竹内裕幸さんが伝え聞いた衝撃の言葉、石川祐希本人に連絡すると
バレーボール男子日本代表の石川祐希(28)は、イタリア1部リーグ・セリエAで節目の10シーズン目を迎える。今季はリーグ王者のペルージャに加入、29日(日本時間未明)の開幕戦から目標に掲げる「世界一のプレーヤー」へ新たな道を歩み始めた。主将を務めた今夏のパリ五輪では準々決勝・イタリア戦でマッチポイントを計4度握ったが、2-0から大逆転負け。母校・星城高(愛知)時代の監督で、U18男子日本代表監督の竹内裕幸さん(49)の目に背番号14はどう映ったのか。五輪後には恩師が胸騒ぎを覚えた教え子の言葉があった。 ◆竹内裕幸総監督と石川祐希、イタリアでのツーショット【写真】 パリ五輪の熱気がまだ残る8月の上旬。竹内監督の電話が鳴った。日本代表の最年長37歳、星城高OBの深津旭弘からだった。今では気軽に冗談を言い合う仲。最初は「五輪の報告かな」と思ったが、声のトーンが違った。重かった。 「先生、石川が『バレーはもういいかな』って言っているけど、そんなこと聞いたことありますか?」 スマホから漏れ出る言葉に耳を疑った。10代から人知を超えてバレーボールにすべてをささげる姿を見てきた。愛工大名電卒の竹内監督は「もう、私には分からない領域。イチロー先輩のようなスーパーアスリートです」と例える。その石川が…。胸騒ぎを覚えた。 時計の針を少しだけ巻き戻す。8月5日。竹内監督はスターバックスの机の上に置いたスマホ画面を凝視した。指揮を執ったU18アジア選手権の開催地・バーレーンから時差1時間のパリで行われていた日本―イタリア戦の第3セット。24-22。日本は勝利まであと1点に迫った。イタリアの強烈なサーブで日本の守備は崩され、高橋藍がトスを上げた。石川は高々と上がった球に反応して右腕を振り抜いたが、3枚ブロックの上を通過。狙ったワンタッチはなし。一緒にスマホの画面にくぎ付けになっていたU18日本代表の高校生たちは悲鳴を上げ、竹内監督は驚いた。 「石川ほどの選手でも勝ち急いでしまうのか…」 8年間磨いてきた”定石”とは違った。高さで劣る日本は、相手ブロックがそろった時には強引に打たず、わざと軽打を当てて自コートに戻し、リバウンドを拾って再び攻める。粘りの攻撃が信条であり、最大の武器だった。フィリップ・ブラン監督が2017年のコーチ就任時から徹底し、世界ランキング2位まで押し上げた十八番。しかし、勝利を目前に定石を選択せず、強引な一手を打った。試合後、背番号14は忘れられない悔しさをかみしめて言った。 「試合を決める1点が取りきれなかった。これを決めてやろうと思いすぎていた」 石川は18歳から最高峰リーグ・セリエAを経験、9シーズンを過ごした。ステップアップを果たし、五輪前には28歳でビッグクラブのペルージャ入りも決めた。東京五輪ベスト8、国別対抗戦「ネーションズリーグ」では23年に銅、24年に銀と階段を上った。イタリア戦の前、試合中、石川を中心にチーム内で「無理に打つのは気をつけよう」と声が上がった。実績も経験を積んだように見えた。それでも、五輪には魔物がすんでいた。歓喜と悔恨は背中合わせ。勝利のてんびんは一気にイタリアに傾き、大逆転負けを喫した。 パリ五輪と同時期にバーレーンで開催されたU18アジア選手権。日本は高校総体と日程が重なり”1軍”メンバーではないながらも4位になり、世界選手権の切符を得た。竹内監督はアジアでの日本の「プレゼンス(存在)」の大きさを感じたという。 「各国から日本の守備、攻撃システムについてよく聞かれたし、ものすごく高い評価だった。今、アジアの国々は、間違いなく日本を目指している。韓国や中国から留学生もきている。だから、マッチポイントのところは…。日本が積み上げてきたプレーをしてほしかった。でも、それができないのが五輪なのかなぁ。悔しいですね。日本代表はバレーをやっている人たちの代表。U18の選手たちも意気消沈した後、すごく悔しがっていた」 実は…。竹内監督はパリ五輪に行く予定を組んでいた。2年前にはバレーボール会場近くの宿泊施設を予約、試合チケットも購入した。星城高出身は石川だけでなくセッターの深津もメンバー入り。高校時代に関わった高橋健太郎、山内晶大らの成長も見たかったという。何よりも日本バレーボール協会が一体となって8年間作り上げたチームの「集大成」を見届けたかった。 「五輪出場権を取る前に宿は予約しましたね。必ず行ってくれると信じて。一家総出でパリに行くつもりでしたが、U18アジア選手権の日程が直前に決まって、パリ五輪と重なってしまった! だから、スタバ観戦でしたね(笑)」 足を運べなかった五輪の直前。「石川の様子(調子)がちょっとおかしい。いつもと違う」という情報がバーレーンにも入っていた。日本のエースは1次リーグで調子が上がらず、苦しんだ。気にはなっていた。だからか、深津から「石川が『バレーはもういいかな』って言っている」と電話で耳にした時に胸騒ぎがした。普段は「邪魔になるから」と連絡は取らないが、傷心のエースに連絡をとるとすぐにつながった。 竹内監督「なんや、バレーに後ろ向きらしいな」 石川「え? いや、もう切り替えていますよ」 竹内監督「でも、声が暗いな」 石川「それは、新幹線で移動中なんで(苦笑)」 恩師はずっこけながら“すべらない話”を教えてくれた。そして、コーチではなく先生の顔になって付け加えた。「この8年。協会も、育成年代の指導者も、スタッフも、選手もパリ五輪をターゲットにやってきた。それが終わった瞬間、選手は先のことは考えられないくらい疲労感に襲われたのでしょう。それだけここに懸けていた。特に石川は主将でエースでしたしね」。費やした時間と膨大なエネルギーを思いながら、最後は優しい声でねぎらった。 日本の主将は金メダルを目指した真夏のパリをベスト8で終えた。初秋を迎え、イタリアで10シーズン目を迎える。目標に掲げる「世界一」へつながると信じて選んだ道。開幕前のオンライン会見で「最高峰のクラブで自分をどれだけ磨けるか」と今季を見据えた。9月23日にはビッグクラブの一員としてイタリアスーパー杯で優勝、MVPに輝く好スタートを切った。竹内監督は男子バレーが低迷していた時代から石川に言い続けていることがある。 「世界一をとるならまずはクラブ」 4年後のロサンゼルス五輪までに世界の頂の景色は見られるのか。パリ行きを断念し、バーレーンでスマホの画面越しに背番号14の死闘を見届けた恩師は言う。「石川は今も楽しみと夢を与えてくれています。五輪でバレーが最高視聴率なんて! もう想像がつかないことだらけ。4年後は現地で見たいですね。もう、ロスの宿の予約をとるかな(笑)」。教え子との電話の前後では、「胸騒ぎ」が「胸が躍る」に変わった。いたずらっぽく笑う49歳の目には、新たな希望が確かに映し出されていた。(占部哲也) 【取材後記】 あと1点-。日本が花の都に残した宿題。ただ、コート内だけに背負わせるのは酷なように思う。石川が道を切り開いた海外の道。高橋藍、西田、関田、宮浦らも続き、タフな環境に身を置き、海外クラブで腕を磨いた。そして、育成年代の代表から「食育」も受けてきた世代でもある。年代別代表の活動に栄養士が帯同、「海外でも自分で考えて食事をとれる」とは竹内監督。それでも、プロ意識の高い石川が初戦・ドイツ戦で足をつるなどパリ五輪の1次リーグでは「感覚、体の切れが上がってこない」と苦しんだ。 何が原因だったのか。4年後に向け、コート外の検証もコート内と同様に重要になる。選手村を出るのも一つの選択肢だと思う。パリ五輪のバレー会場は他競技に比べて選手村から遠く、移動時間も長かった。各競技で選手村の食事に不満を漏らす選手が続出。共同生活で同部屋の選手の“絶叫寝言”に苦しんだ他競技の選手もいた。試合会場近くの宿泊施設であれば、移動時間も短縮、パスカードに限りがある選手村とは違い、メディカルやトレーナー、自前のシェフの同行も可能になる。コントロールできる時間、領域が広がる。 本気で金メダルを狙うバスケットボールの米国代表を筆頭に、一流のプロテニスプレーヤーや有力国の競泳選手は入村しなかった。日本のバレーボールは将来的なプロリーグを目指すSVリーグが10月に開幕する。4年後はプロ化が一層進むことになるだろう。 今大会は、石川、高橋をはじめプロ意識の高い選手たちがSNSなどを活用し、バレー人気を広げてきた。パリ五輪の平均世帯視聴率の最高は、日本-イタリア戦の23.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)。高い注目度=スポサー獲得、放映権料、入場料アップにつながる大いなる可能性を秘めている。 あと1点の壁。それをコート内だけに求めるのはフェアではない。そして、サポート体制のレベルアップに「軍資金」は欠かせない。選手が耕した肥沃(ひよく)な大地は目の前に広がっている。メダル獲得は総合力。バレーボール協会は千載一遇のチャンスをつかみとれるのか。4年後に向け、コート外の戦いも問われる。(占部哲也)
中日スポーツ